2012年06月02日
日常の変化をみつめる目(宇田有三)
BS-1 「ミャンマー軍政化20年の真実~フォトジャーナリスト再会の旅」を見た。
このフォトジャーナリストというのが、宇田有三さんだ。

1993年、はじめてミャンマーを訪れた宇田さんは、20年間、ミャンマーの人々を撮り続ける。
そのきっかけとなったのは、ビルマ(ミャンマー)民主化運動の象徴ともいえる、
アウンサンスーチー女史の言葉。
「私は、ただのビルマの象徴でしかない。
ほんとうに取材したいのなら、普通の人々を取材してほしい」
これを聞き、宇田さんはミャンマーをくまなく歩き、人々の姿を撮りつづける。
それは20年間 10万カットにおよぶ。
20年前、厳しい軍政下の中になったミャンマーでは
外国人ジャーナリストと接触することは命をもおとしかねない危険なことだった。
その中で、宇田さんの取材に応じてくれた人々を、
民主化がすすんだと言われる今、宇田さんは、再び訪ねる。

■胸に、アウンサンスーチーの象徴「クジャク」の入れ墨をいれた男性は
入れ墨の部分だけしか写せない「顔のない男」として写真のなかにあった。
彼は民主化がすすむことで、貧しい生活から抜け出せると信じ今を生きる。
20年後の彼は、「俺をとってくれ」と晴れやかな顔で、宇田さんのカメラをみる。
■スーチー氏の名前を口にだすのも危ない時代、
壁にスーチー氏の写真を貼って仕事をする仕立て屋さん。
この20年の間には、家宅捜索や逮捕を何度も経験し、
お客さんの中には「怖いので、ここでは服を作りたくない」と離れた人もいる。
それでも彼は民主化運動をやめなかったが、現在は仕立て屋の看板を下ろしていた。
■部下を失った指揮官。
ただ、うなだれ何かを考える彼を、宇田さんはなにも問わず写真に納めた。
20年後の彼は、戦いは終わるのか?という疑問をもちつつ
「武器ではなく、言葉で戦う力を持たなければ」
と、ipadを使って英語の語学力をつけようとしていた。
■アウンサンスーチー氏と並ぶ民主化運動の志士、ミンコーナイン氏。
学生運動家として活動し20年の投獄を強いられた。
彼の父親は、20年前、写真1枚もない息子の絵を描いて飾り
その絵とともに写真に撮された。
息子は自由の身となったが、未だに安穏とした生活はなく
父親とゆっくり話す時間もない。
政治にもとめるのは変化! 言論の自由!と、民主化運動を続ける息子の生活を
父親は受け入れてはいない。
「すこしましになっただけ。いつかわるかわからない」
そこに、長い軍政下の中で翻弄され続けたミャンマーのひとたちの本心があるのだと
私は思う。
宇田さんは、この番組の最後
「未だに、民主化への期待や不安、葛藤をかかえていた。
(20年前)匿名の被写体が、具体的に名前を語り、姿ある状態となって立ってくれたことが嬉しい。
変えようとする意志の力と行動を記録したい」
と、結んだ。

日常を撮り続けるということ。
それは、センセーショナルにかき立てるよりも、ずっと強い言葉をもつ。
宇田さんの写真の中にでてくる人々は、時代のなかで懸命に生きる普通の人々だ。
社会を作るのは、そうした人々であることを忘れてはいけない。
宇田有三さんweb http://www.uzo.net/
Posted by るいまま at 23:56│Comments(0)
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