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2010年11月09日

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

さてさて、本日は、高松の若奥様の集団「舞踏会有志」および子育て中のお母さんのための

「しらない高松を知る まち歩きvol1
」(vol2のご用命があるかどうかは、これから)

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

くりすが、いっぱい写真をとってくれていたので、写真加えました~


昨日、漫遊帖の崎さんと最後の下歩きをしまして、ルートもわざとわかりにくくして

路地めぐりにいたしましょうとお話し(笑)

田町パティオよりはじまり~

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート


今日は、春のような昨日とうってかわって、風が強うございましたから、

ちょうど(違)パティオにあった田町交番をお借りして受付~

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

この日は、「若奥様」というだけありまして

谷家の0歳児も、よっしーんちの二歳児も一緒に歩きます



ガイドの崎さん

いつも通っている場所ですから、私たちの知っていること、みなさんの知っていることがあると思いますが、私のしらないことは教えてください

と、おはなしがあって、出発~

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート



■まず、向かいましたのは、トキワ街
5日に開店したところの、小豆島「菊水屋」さん

オリーブは、今が一番でまわる時期。さっそく、店先に準備してくださっていたオリーブ漬けを試食

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート



朝も開くようになった「グランドファーザーズ」や、新しく移転してきた「FM815」を見て

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■「さいと履物店」へ。

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

鼻緒の合わない草履や下駄で、草履嫌いにならないでほしい、ここで足にフィットした鼻緒の心地よさを

って、話していると、中橋から

坂出にも、そういう履物やさんがあったんですよ~。お祭りのとき、子どもたちはみんな合わしてもらってました~」

ただ、やはりおばあちゃんがお年を取られてお店を閉められたこと。残念だね。

外反母趾の足には、下駄で、ときどき休息させてあげたいのにね。

今日は盛りだくさんのまち歩きゆえに、前を通っただけなので、

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

おじさんをご紹介できなかったのが、残念です。また、行ってみてね。





路地から、トキワ茶寮へ

ここの漆天井のお座敷の話をすると、「舞踏会でこよう!」と、声が。是非~

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート※写真は2007年のもの





■で、トキワ街路地裏ではかかせない「白天師」さんのところで、ひそやかに説明。

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート




■三匹のこぶたの角を曲がる前に、鳥居を確認していただいて

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート常磐稲荷さんへ

トキワ街は、戦後、廃線となった電車の線路の敷石を利用して舗装したことを、覚えておいていただいて

大井戸さんへむかいます





■大井戸ができるまでのことを崎さんから聞きます。

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

香東川の砂州に作られた高松城は、城下も香東川の氾濫に苦しむ町でした。
高松松平藩の前の藩主生駒家の家臣西嶋八兵衛によって香東川の分流をせき止め
川の氾濫はなくなりましたが、水質変化がおき、まちの人たちは水に困るようになります。
そこで、各所に井戸を掘り、給水の整備がはじまります。それは、松平藩にも引き継がれ
暗渠の上水道としては日本で初めての上水道ができあがるのです。

大井戸は、昭和30年ごろまで、まちの井戸として使われておりました。


このあたりのことは、るいまま組記録2007年版を参考にしてください。

香川大学生のコースの基礎となった構築記録です

こちらも、参考になりますな。





■大井戸をでて、南新町「バナナ問屋 大林

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

フィリピンバナナや、春の短い期間にだけ食べられる台湾バナナのこと

バナナのほんとに美味しい時期など、うかがいながら、バナナをお土産に!

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート




■南新町といえば、この香りと言われる方もあるかも 乾物の「丸一」さんで

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漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

イケメンのおにいさんから、お話を伺い、丸亀町にむかいます。




岩佐佛喜堂さんでは、昭和8年の高松中心市街地の地図や、明治21年当時の地券を拝見

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

みかちゃんは実家近くを探し、今もこの方たちが住んでいらっしゃると。

中橋は、この地図をもとに、この時代の方たちがどこで遊んでいたかの記録を残したいと。

それぞれの思いで地図をみます。

ここで、トキワ街でお話した廃線となった電車のことや、香東川のことなどがつながってきました。





■商店街には、うどん屋さんが増えましたよね。

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート



プッチーニの小道で、オペラのことをちょっとお話し、新しく丸亀町にできたお店で「白いオオカミ」見学(遊牧民って意味のお店です、探してみて)

丸亀町に新しく来たお店は、月1回水曜日だけが休店日で、あとはお店を開くというのがお約束のようです。

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百十四銀行高松支店(もと本店)は、戦災にあうも焼け残った貴重な文化遺産

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

銀行前の説明版には、明治期の丸亀町商店街の絵もありますから、ご近所を通ったときには見てください。



■自転車王国「高松」では、この駐輪システムも誇り。鍵もかけなくていいし、便利でしょ?

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート



■百間町にでて、明治創業の老舗「川六」さんで、屋号と百間町のお話

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

戦後は、このあたりには80人からの芸子さんがいたこと、川六の創始のころのお話

覚えてくださっておりますか? 舞踏会のみなさま(笑)





■そろそろ、お疲れってことで、ライオン通りにでまして、矢野サーカスのお話からライオン通りのお話

そして、美代志野でブレイク。

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート※この写真は2007年当時のもの

ここには、素敵なロマンスがあり、それがずっとつながっていることを聞きながら

記念日の大事さをしったのでございました。

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そして、本来ならば、ミュージアムなどを回るはずでしたが、時間もおせおせなので

このあたりのお話は、るいまま組記録2007年で「先さんと歩く外堀コース」で

学習してくださいまし。





■百間町から、華下天満宮へ

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

華下天満宮の参道入り口をぬけて、片原町へ。なぜ、こちら側からはいったか、覚えてますか?

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

お話しすることは山ほどありますが、まぁまぁ先を急ぎましょ(笑)

このへんのことは、るいまま組記録2008年「プロフェッショナルのお話は深い」なんかもご参考に





■北浜にでまして、「海鮮食堂」のおじさんから、タイラギ漁のお話を伺いながら食事

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

深いところは30メートルも潜るタイラギ漁は潜水病との戦いでもあります。

朝8時から昼過ぎ3時まで漁をし、そのあと減圧のための部屋に3時間もはいらないといけないのです。

12月からは、そのタイラギが海鮮食堂で食べられます。(ほんとの瀬戸内のタイラギは、この時期から


ここで、第1班が解散。中橋、よっしーお疲れ様でした。


みんな忙しい「舞踏会 若奥様」なので、予定の時刻までしか歩けないのは、当然のことです。



ここから先は、番外編






■さて、片原町にもどりまして、三友堂さん(るいままメモから)

木守(きまもり)とは、来年の豊作を祈って、ひとつだけ収穫せずに残しておく柿の実のことです。それは同時に、小鳥たちへのおすそ分けでもあり、自然の恵みに感謝する心でもあります。 ...

その名をつけた茶碗がありまして、それは安土桃山時代「わび茶」を完成させた千利休の孫「宗旦(そうたん)の息子たちの時代に、(次男宗守そうしゅ)・(三男・宗左そうさ)・(四男・宗室そうしつが、それぞれ独立し現代の形になっています(長男は家をでている)。

この千家は、さぬきの国が松平様になるひとつ前生駒様の時代に表千家の開祖「宗左」が茶頭をつとめておりまして、少なからずご縁がありました。
生駒藩はお家騒動で改易となり、そのご高松にやってこられた松平さまの時代に、武者小路千家の開祖「宗守」が茶頭となります。
その後も、明治時代になるまで武者小路千家はさぬき高松藩の茶道の指南をつとめており、そのご縁で、千家に伝わる利休の7茶碗のひとつ「木守」が贈られるのですが、大正12年「関東大震災」のとき割れてしまいまして、今はそれを拾い集めた復元碗になっているとのことです。





ようやく丸亀町です(笑)。ここで崎さんのコースは終了!

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

崎さん、ほんとにご苦労様でした。


漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート





残った、くりす 谷さん 〇歳児 みかちゃんと

■兵庫町の地名のことなどお話しながら、喫茶「城の目」へ

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート


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(るいままメモから)

■城の目

高松市美術館の斜め向かいにある喫茶店「城の眼」。昭和37年にオープンした喫茶店の老舗です。通りに面した側に張られているのはコンクリート製のPC版(工場生産の特注コンクリート版)です。

実はこの喫茶店は多分野の芸術家がかかわり、やすらぎの場所とは何か、が追求されて出来上がった芸術作品なのです。


1964年に開催されたニューヨークの世界博の日本館で使われた石壁の試作品として城の眼が建てられ、そこで、建築家、デザイナー、音楽家、美術家などたくさんの人たちが集まりコーヒーを飲みながら打ち合わせが行われていたそうです。

建築は、直島家プロジェクトの県文化功労者の山本忠司氏、室内デザインは彫刻家の空充秋(空みつあき)氏、音楽デザインはかつて武満徹氏らと芸術運動を展開した秋山邦晴氏が担当しています。さらにすばらしいことは、当時からのデザインがほとんどそのまま守られていることです。。



ここで、説明をしていると城の目のおねえさんがでてきて、私の曖昧な記憶にも

「そうですよ」と相槌をうってくださり、一安心


そして、お茶をのんでいるとき

これね、那須さんが亡くなる前に、平井二郎さんが那須さんに渡してってくださった夕日の写真

と、もってきてくださったのです。

そのダルマ夕日の写真を見て「すごいですね! すごいですね!」と言われた翌日、

那須さんが逝かれたのだとおねえさんは話してくれました。


瀬戸内芸術祭がはじまり、いろんなことを発信したかったに違いないのにね」としんみり。


今日、城の目にいかれた方は、これを読んでおいていただけると嬉しいです

るいまま組記録2007年10月香川県庁東館の楽しみ方






■いくつかのコースをミックスした、大急ぎのコースだったので

はたして、若奥様たちの記憶にどこまで残ったかわからないのだけど

漫遊帖「若奥様のためのまち歩き」リポート

全部、覚えなくていいから

なにかのときに、高松ってこんなところがあるんだよと、子どもたちに話してくださいね。





そして、ひとつひとつ、もっとじっくりと知りたいときは言ってください。

あなたが一番興味をもったことを、コーディネイトしますから。

そこから、まちのほんとの面白さがはじまります。




*****************

本日のまち歩き 11622歩





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この記事へのコメント
お世話になりました。

皆さん楽しんで
頂けたでしょうか?

商店街も新しくどんどん
変化していますね。
狼のいる店も出来ていて
驚きました。
時々はチェックに歩かなくては。
Posted by 黄門様 at 2010年11月09日 19:39
今日は本当に忘れられない一日をありがとうございました

黄門様はじめ、皆さまと一緒にまちあるき出来たこと、とっても光栄です!

高松というまちが、とても好きになりそして誇りに思えるようになりました

語り継ぐことって大事ですね
愛着を持つって大事ですね

本当にありがとうございました

たかまつ大好き!
るいまま大好き!
Posted by えみこ at 2010年11月09日 20:53
今日はありがとうございました。
迷路みたいな路地歩き、楽しかったです!

いろんな所を知ると、人に教えたくなりますね!

息子とまちあるきができて幸せでした。
「ぜんざい、また行こうね~」って、よろこんでました(笑)

城の目、一緒に行きたかったです…
Posted by ヨッシー at 2010年11月09日 21:20
お疲れ様でした~
本当に、参加できず残念でした。。。

ILアワードも無事終了し、わたくしもホッと一息ついたところです。

それにしても、盛りだくさんですね!
12月の舞踏会はトキワ茶寮ですかね?愉しみ~♪

コースを組むにあたって、前もって下歩きをされたとのこと。
るいまま、さすがです。
そのプロ魂を私も見習いたいです。
Posted by JJ at 2010年11月09日 23:24
今日は、ほぼ飛び入り参加みたいな感じだったにもかかわらず、
とても暖かくて楽しいまち歩きをありがとうございました。

帰ってからこのブログを拝見して、
きめ細かな準備の様子を想って涙が出ました。。。

子どもにも、商店街の思い出をたくさん作ってあげなければならないなあと改めて思いました。

今度は故郷の盆栽巡りに行こうと思います!
Posted by たびのそら at 2010年11月10日 00:14
もっともっと知りたくなった高松!

昨日聞いたお話を思い起こしながら

今度県外の友人と もう一度歩いてみます。

いつもながら・・(はあと)

本当にありがとうございました。
Posted by くりす♪ at 2010年11月10日 13:33
いやー
準備もさることながら
復習もばっちりできるすばらしいブログ
ありがとうございます。
とてもたのしかったです。
高松にきて16年、
今日でさらに愛着をもつことができました。
Posted by なかい at 2010年11月11日 17:56
皆さんに一つ忘れていました。
コース最後に、若かりし日々の事を
思い出してもらう「恋の辻占い」を
引いてもらうのを。

後日、代理で松平殿に引いてもらって
写真と一緒に送ります。
お楽しみに!感想をお知らせ下さい。
Posted by 黄門様 at 2010年11月11日 20:50
■みなさま

ほんとにありがとう!

これからお、少しずつ、まちを紐解いていきましょうぞ!
Posted by るいままるいまま at 2010年11月12日 19:29
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