2024年10月28日
あなたならどうする?
【あなたならどうする】
#劇団マグダレーナ40周年、#中越恵美50年 の記念公演「#新さぬき弁殺人事件」は、マグダレーナの真骨頂ともいえる、差別偏見に対する社会問題を真っ向からぶつけ、観客席に多くの問を投げかけた。

この舞台は、マグダレーナによって20年以上前に上演されたが、たぶんその頃は、社会派のマグダレーナの作品のひとつと捉えるひとも多かったんじゃないだろうか。
その後、中越恵美も参加した、映画「#福田村事件」として世に知られ、差別、群衆心理、そして保身による人間の弱さ怖さを多くのひとが考えることになった。
そして、それは遠いまちの話ではなく、ここ讃岐の話なのだと知る。
差別はやめましょう。人間はみんな平等で自由です。なんて上滑りな言葉が嘘っぱちであることは、みんな知っている。
知っていても、それを暴けば自分に矛先が向かうことも解っている。
まだ、ものが上手く流通していない頃、行商人や担ぎ屋さんは、家までいろんなものを運んでくれる便利なひとたちだが、必要以上に親しくなってはいけないというのは、私の母の世代ならみんな言っていたことだ。
その意味を、子どもに教えることはなく、やがて流通システムは大きく変化し、私たちの時代には行商人や担ぎ屋さんはいなくなった。
不当な拷問から逃げる朝鮮の青年、自由や平等を唱う主義者と呼ばれる女、新聞は嘘をかかない村のひとはみんないいひとだという飯屋の女将。
彼らは、朝鮮人と間違われ、村人に襲われて夫や子どもを亡くした女たちに、なぜ讃岐で商売をせず、こんな過酷な旅をつづけるのかと聞く。
讃岐に帰っても、彼女たちを守ってくれるものはいない。国も法律もひとも。
旅を続けるしかない人々をかわいそうだというひとはいても、たぶん、自分たちに火の粉が飛んでくれば、簡単に保身にまわる。
長い旅の間、彼女たちは何度も何度も、そんな経験をしてきたに違いない。
これは100年前の実話から創られたお話ではあるが、古代から差別や偏見はあり、いかに美しく言葉で変えようとしても、世代をこえ形をかえ巣食い続ける。
あなたなら、その差別や偏見からくる自分の保身といかに対峙する?
意識をひっぱるようなことをせず、多くのひとに考えよ!と投げかけ舞台は幕となった。
恵美さんが、マグダレーナ40周年の挨拶をし、50周年もできるだろうかと笑わせたが、
マグダレーナが地道に育てている子どもたちが、ほんとに良くて、舞台の始まりのシーンをしっかり担っていたことに、マグダレーナの未来は明るいと感じた。
写真は公演後の 中越恵美。

大変 よくできました (笑)

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