2021年01月10日
1/9 残月亭 初釜2021 記録
令和三年正月九日。
いつもお世話になっている残月亭の初釜のお手伝い。

前日の道具決めから行き、茶会の道具がいかに決まって行くかを知り、同じ道具、同じ花、同じ軸であっても、ひとや時により、まるでちがうものになることを実感した2日間。
前日、軸を「雪」に変え、濃茶、薄茶の主茶碗が決まったあたりから、今年の初釜の席はスキッとした言い訳のない男らしい席に。

そこに飾られた、宮内ふささんの張り子のつまみ人形がお正月の晴れやかさを嬉しさを彩ります。
お客さまは、5席26人。
どの席も個性的なみなさまが集まり、特別な正客を置かない残月亭だからこその、亭主と客のやりとりが楽しい時間となりました。
残月亭 亭主 中條晴之より

「正月9日。
初釜をやってみました。久しぶりのちゃんとした茶会で、コロナ禍での濃茶の作法を試してみた。立礼式でもきちんとした茶会は出来ます。ソーシャルディスタンスを守って、初春の茶会を楽しみました。」
【残月亭 1席目】
中條さんの盆点前の生徒さん #ショワシノワ のリサちゃんや、#茶音 豊子さんなど、中国茶にご縁のあるかたが一緒に。


【残月亭 2席目】
石州流の方、雅流の方とお茶人の多いお席。お話がはずみ楽しいお席でした。

【残月亭 3席目】
中條さんの茶の湯ワークショップのみなさまがたくさんお集まりくださいました。

【残月亭 4席目】
人形作家の後藤朝子さん、漆芸作家の後藤健吉さんご夫妻、かめびしの岡田さんもいらしてくださり、茶の湯初心者の涼子ちゃん、今出くんも良いお話がたくさんきけ、良いお席になりました。

【残月亭 5席目】
最後のお席は宇多津から #公楽 の米崎さんや玉井ちゃん、広瀬先生や妹尾先生もきてくださりお話もはずみ、なかなか終わり難いお席となりました。

では、後のための記録を。
【掛物】

「雪」
8代 一啜斎(いっとつさい1763年-1838年)の書。
数日前から日本中が冷え込み、高松でさえ氷点下になる寒い日。この力強い書が柳の輪の中でキリっと光ります。
一啜斎は、川越兵庫の子として生まれ、武者小路千家7代目堅叟宗守の弟子として活躍し、堅叟宗守には息子がいなかった為、後に養子として8代目を継ぐ。
高松藩松平家の茶頭として数多くの功績を残し、松平不昧公からは多大なる信頼を得ていた。
軸の上に掛けられているのは、ちょろけんという正月かざり。
【花】

「結び柳」
柳を結んだ大きな輪は,「一陽来復(いちようらいふく)」の太陽をあらわしている。「一陽来復」は「物事が好転する」という意味の縁起の良い言葉。
利休が、旅に出る人の送別の花として、中国の故事「鶴一声胡銅鶴首花瓶(つるのひとこえこどうつるくびかへい)」にかけ、柳を結んで飾ったのがはじまりと言われているが、その時は鶴首の花入れだった。
この形になったのは、それまでの当たり前を覆し、床の間の空間を最大限にいかした古田織部。
「南天」
難を転じる
「衝羽根(つくばね)」
繁った葉を整理し、この形にして飾る。羽子板のおい羽の元になったもので実際使われていたそうだが、力いっぱい打つと壊れてしまいそうな儚さ。おしとやかに遊んでいたに違いない。
本来なら、結び柳に紅白の椿をさしますが、今日はお正月なので南天と衝羽根にしましたと亭主である 茶人 中條さんより説明があった。
【香合】


屋島焼 三谷林叟
猛々しき牛のいっときの休息を思わせる。
三谷林叟は、江戸時代中期-後期の陶工。讃岐生まれ。平賀源内の甥(おい)の堺屋源吾から陶法を学んだ。源内焼から派生した。高松藩の焼物師。
4席にお入りいただいた作家の後藤朝子さんが、牛は、苦しみ多い世界から悟りの世界につれていくものと教えてくれた。
北野天満宮の大茶会に配られた。松に古今の色なし
【宮内ふさのつまみ人形】

小さな箱の中に、干支や奉公さん、鯛えびすなどかわいいお人形がはいっている。白に黒いもようが丑。
まんなかは、ガラス作家 杉山利恵の鏡餅。
【濃茶】
ぜんざいが、濃茶のお菓子の代わり。
この日は、中條ひさみさんお手製。甘すぎず、小豆がふっくらとして美味しゅうございました。

濃茶は原ヲビヤ園 福寿。
コロナ以降、濃茶の回しのみは姿を消し、各服点てになっていたが、それでは濃茶を練るとき、茶室に広がる茶の香りを楽しめない。
今日は片口で点て、湯呑大のお茶碗に注ぎわける。



作庭家の重森三玲は、昔から濃茶の一服点てをし、お茶の飲みあとをお楽しみくださいといったそうなので、ある席の茶碗を写してみた。
様々な模様になり美しい。
【濃茶 主茶碗】
旦入の黒楽 「八紘(はっこう)」
八紘とは、四方と四隅。八方。天下。全世界のこと。
楽旦入は、江戸後期の茶碗師。千家十職 楽家十代。
【濃茶 茶入】

大晦日の茶会でもそうだったが、普段は陰にかくれているのに、この席にどうしても登場したいとなると自ら主張し始めるお道具がある。
この日は、仁清の茶入。
手の中にすっぽりはいるほどの大きさで、繊細で、姿良きすっきりした茶入。

【炉縁】
音丸耕堂の孫 音丸たかし
【水指】
利休好みの茶桶水指。桶を作り麻布をはり黒漆をかけている。
蓋の持ち手が繊細すぎるくらい繊細。
【釜】

釜千家十職大西家2代浄清の釜と言われているが、もっと古い芦屋釜かもしれない。
芦屋釜については別記
【蓋置】
一啜斎。時を封じ込めたような竹の蓋置
【薄茶 お菓子】

二條若狭屋の迎春菓子『絵馬初詣』
やや厚めの玉子煎餅に白味噌餡。甘みと塩味がじんわり美味しい。
絵馬をぶら下げる紐はお昆布。
【銘々皿】

十牛図 杉板皿
十牛図とは、悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したもの。 「真の自己」が牛の姿で表されているため十牛図といい、真の自己を求める自己は牧人の姿で表されている。 十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)や牧牛図ともいう。

【薄茶 主茶碗】
江戸後期の作家、千家十職楽家7代 長入 瀬戸写し。
打出の小槌が金属でできており変化する。
【薄茶 二碗】
赤楽に雪のような白い模様がある筒茶碗。
金沢 大樋焼 9代大樋長左衛門。加賀光悦写。
大樋焼きは、350年の歴史を持つ楽焼の脇窯。加賀前田家の御用窯でもある。
初代長左衛門が楽茶碗の黒と赤を禁じられたために工夫して創案した飴色が特徴なので、華やかな赤楽が話題に。
・富士に雪 宇治 朝日焼
・飛梅 北野天満宮の献茶をしたときの茶碗。
木津宗詮のデザインの青焼が残っている。木津家は、初代松斎宗詮が武者小路千家官休庵八代家元一啜斎に入門して立てられた茶家。
・永楽 羽子板

【棗】
中村宗哲
950年の松の枯木により作られ、表はすっきりとした姿だが、蓋を開けると梅の蒔絵があら華やか。
【茶杓】
梅材で作られて節がない
音丸耕堂の兄で光悦寺の住職だった こうせつ作
いつもお世話になっている残月亭の初釜のお手伝い。

前日の道具決めから行き、茶会の道具がいかに決まって行くかを知り、同じ道具、同じ花、同じ軸であっても、ひとや時により、まるでちがうものになることを実感した2日間。
前日、軸を「雪」に変え、濃茶、薄茶の主茶碗が決まったあたりから、今年の初釜の席はスキッとした言い訳のない男らしい席に。

そこに飾られた、宮内ふささんの張り子のつまみ人形がお正月の晴れやかさを嬉しさを彩ります。
お客さまは、5席26人。
どの席も個性的なみなさまが集まり、特別な正客を置かない残月亭だからこその、亭主と客のやりとりが楽しい時間となりました。
残月亭 亭主 中條晴之より

「正月9日。
初釜をやってみました。久しぶりのちゃんとした茶会で、コロナ禍での濃茶の作法を試してみた。立礼式でもきちんとした茶会は出来ます。ソーシャルディスタンスを守って、初春の茶会を楽しみました。」
【残月亭 1席目】
中條さんの盆点前の生徒さん #ショワシノワ のリサちゃんや、#茶音 豊子さんなど、中国茶にご縁のあるかたが一緒に。


【残月亭 2席目】
石州流の方、雅流の方とお茶人の多いお席。お話がはずみ楽しいお席でした。

【残月亭 3席目】
中條さんの茶の湯ワークショップのみなさまがたくさんお集まりくださいました。

【残月亭 4席目】
人形作家の後藤朝子さん、漆芸作家の後藤健吉さんご夫妻、かめびしの岡田さんもいらしてくださり、茶の湯初心者の涼子ちゃん、今出くんも良いお話がたくさんきけ、良いお席になりました。

【残月亭 5席目】
最後のお席は宇多津から #公楽 の米崎さんや玉井ちゃん、広瀬先生や妹尾先生もきてくださりお話もはずみ、なかなか終わり難いお席となりました。

では、後のための記録を。
【掛物】

「雪」
8代 一啜斎(いっとつさい1763年-1838年)の書。
数日前から日本中が冷え込み、高松でさえ氷点下になる寒い日。この力強い書が柳の輪の中でキリっと光ります。
一啜斎は、川越兵庫の子として生まれ、武者小路千家7代目堅叟宗守の弟子として活躍し、堅叟宗守には息子がいなかった為、後に養子として8代目を継ぐ。
高松藩松平家の茶頭として数多くの功績を残し、松平不昧公からは多大なる信頼を得ていた。
軸の上に掛けられているのは、ちょろけんという正月かざり。
【花】

「結び柳」
柳を結んだ大きな輪は,「一陽来復(いちようらいふく)」の太陽をあらわしている。「一陽来復」は「物事が好転する」という意味の縁起の良い言葉。
利休が、旅に出る人の送別の花として、中国の故事「鶴一声胡銅鶴首花瓶(つるのひとこえこどうつるくびかへい)」にかけ、柳を結んで飾ったのがはじまりと言われているが、その時は鶴首の花入れだった。
この形になったのは、それまでの当たり前を覆し、床の間の空間を最大限にいかした古田織部。
「南天」
難を転じる
「衝羽根(つくばね)」
繁った葉を整理し、この形にして飾る。羽子板のおい羽の元になったもので実際使われていたそうだが、力いっぱい打つと壊れてしまいそうな儚さ。おしとやかに遊んでいたに違いない。
本来なら、結び柳に紅白の椿をさしますが、今日はお正月なので南天と衝羽根にしましたと亭主である 茶人 中條さんより説明があった。
【香合】


屋島焼 三谷林叟
猛々しき牛のいっときの休息を思わせる。
三谷林叟は、江戸時代中期-後期の陶工。讃岐生まれ。平賀源内の甥(おい)の堺屋源吾から陶法を学んだ。源内焼から派生した。高松藩の焼物師。
4席にお入りいただいた作家の後藤朝子さんが、牛は、苦しみ多い世界から悟りの世界につれていくものと教えてくれた。
北野天満宮の大茶会に配られた。松に古今の色なし
【宮内ふさのつまみ人形】

小さな箱の中に、干支や奉公さん、鯛えびすなどかわいいお人形がはいっている。白に黒いもようが丑。
まんなかは、ガラス作家 杉山利恵の鏡餅。
【濃茶】
ぜんざいが、濃茶のお菓子の代わり。
この日は、中條ひさみさんお手製。甘すぎず、小豆がふっくらとして美味しゅうございました。

濃茶は原ヲビヤ園 福寿。
コロナ以降、濃茶の回しのみは姿を消し、各服点てになっていたが、それでは濃茶を練るとき、茶室に広がる茶の香りを楽しめない。
今日は片口で点て、湯呑大のお茶碗に注ぎわける。



作庭家の重森三玲は、昔から濃茶の一服点てをし、お茶の飲みあとをお楽しみくださいといったそうなので、ある席の茶碗を写してみた。
様々な模様になり美しい。
【濃茶 主茶碗】
旦入の黒楽 「八紘(はっこう)」
八紘とは、四方と四隅。八方。天下。全世界のこと。
楽旦入は、江戸後期の茶碗師。千家十職 楽家十代。
【濃茶 茶入】

大晦日の茶会でもそうだったが、普段は陰にかくれているのに、この席にどうしても登場したいとなると自ら主張し始めるお道具がある。
この日は、仁清の茶入。
手の中にすっぽりはいるほどの大きさで、繊細で、姿良きすっきりした茶入。

【炉縁】
音丸耕堂の孫 音丸たかし
【水指】
利休好みの茶桶水指。桶を作り麻布をはり黒漆をかけている。
蓋の持ち手が繊細すぎるくらい繊細。
【釜】

釜千家十職大西家2代浄清の釜と言われているが、もっと古い芦屋釜かもしれない。
芦屋釜については別記
【蓋置】
一啜斎。時を封じ込めたような竹の蓋置
【薄茶 お菓子】

二條若狭屋の迎春菓子『絵馬初詣』
やや厚めの玉子煎餅に白味噌餡。甘みと塩味がじんわり美味しい。
絵馬をぶら下げる紐はお昆布。
【銘々皿】

十牛図 杉板皿
十牛図とは、悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したもの。 「真の自己」が牛の姿で表されているため十牛図といい、真の自己を求める自己は牧人の姿で表されている。 十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)や牧牛図ともいう。

【薄茶 主茶碗】
江戸後期の作家、千家十職楽家7代 長入 瀬戸写し。
打出の小槌が金属でできており変化する。
【薄茶 二碗】
赤楽に雪のような白い模様がある筒茶碗。
金沢 大樋焼 9代大樋長左衛門。加賀光悦写。
大樋焼きは、350年の歴史を持つ楽焼の脇窯。加賀前田家の御用窯でもある。
初代長左衛門が楽茶碗の黒と赤を禁じられたために工夫して創案した飴色が特徴なので、華やかな赤楽が話題に。
・富士に雪 宇治 朝日焼
・飛梅 北野天満宮の献茶をしたときの茶碗。
木津宗詮のデザインの青焼が残っている。木津家は、初代松斎宗詮が武者小路千家官休庵八代家元一啜斎に入門して立てられた茶家。
・永楽 羽子板

【棗】
中村宗哲
950年の松の枯木により作られ、表はすっきりとした姿だが、蓋を開けると梅の蒔絵があら華やか。
【茶杓】
梅材で作られて節がない
音丸耕堂の兄で光悦寺の住職だった こうせつ作
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