2024年12月02日
決して始めてはいけない
【決して始めてはいけない】
さぬき市源内ホールで開催された #上原彩子 ピアノコンサートと映画「#月光の夏」上映会へ。


この映画会は、平和を明日に繋ぐ会のみなさんによって香川県各地で開催され3年目を迎える。
会は、さぬき市の大山市長が引用された、アフガニスタンでタリバンに銃撃され命を落とされた #中村哲さん の言葉「平和は戦争を始めるよりも、ずっと大変でしんぼうがいることなんです」から始まった。
ただただ平和を唱えるだけでは平和はこない。私たちのすぐ隣にある #不穏なものに気づき考える力 を持たなくてはいけない。
繋ぐ会の宮本さんが、まだ3歳だった頃の戦争体験を語り、上原彩子さんのコンサートとなった。


途中、一切の言葉をはさまず、ベートベンソナタ5番、6番、7番と続き、このあと上映される映画「月光の夏」のテーマともいえる、14番「月光」となった。
満席の会場は、演奏者の呼吸を受け取るように身じろぎ一つしない、圧巻の「月光」だった。
実は、この日私は、コンサートのあと、別の勉強会のためにすぐに席をたたなくてはいけなかったので上映会には参加できないとわかった時点で、「月光の夏」を先にnet配信でみていた。
みていたからこそ、よけい、この「月光」には心打たれた。
映画「月光の夏」は、佐賀県鳥栖市の田舎町の小学校に寄贈された、ドイツプッヘル社製のグランドピアノにまつわる実話を元に制作された。
何も与えることはできないが、子どもたちに文化をと地元婦人会によって、家が買えるほど高価なピアノが寄贈される。
ピアノを託された若い音楽教師は、太平洋戦争が激化するなかも、そのピアノを大事に手入れし守っていた。
時が経ち、体育館の片隅に追いやられた古びたピアノが廃棄されると聞き、音楽教師は、死の直前、このピアノを弾いた特攻隊員の話をはじめる。
音楽家や音楽教師を目指す青年が最期にピアノを弾きたいと小学校にやって来て、このピアノで「月光」と「海ゆかば」を弾いた。軍国教育を受けている子どもたちは、僕たちもお兄さんたちのように国のために戦うというも、彼らは「君たちが戦わなくてよいように、私たちは行くのだ」と小学校をあとにし、特攻機にのる。
と、いうところで、この映画は終わらない。むしろ、ここからが映画の主題かもしれない。
特攻隊として死ねなかったものを収容する「振武寮」という施設があった。そこにいる者たちは、仲間は死んだのに、自分は死ねなかったこと後ろめたさをもち、「卑怯者」「特攻隊員としての名誉を汚した」など不当な叱責にあいながら、再びの特攻出陣の日を待つ。
外出はもちろん手紙を出すことも許されずに幽閉され、家族には、すでに戦死したことになっており、二度目の出陣で亡くなったとしても、死亡の日は最初の特攻の日となる。生きていながら殺されているのだ。
このピアノを弾いたふたりの青年のうちひとりは、飛行機の整備不良で引き返し、振武寮で出陣を待つうちに終戦を迎えるが、誰にもそのことを言えず、何十年も苦しみながら生きている。
だから、ピアノのことがニュースになり、当時の青年たちを探していると言われても、自分があのときピアノを弾いた青年であるとも言い出せない。
この美談は、音楽教師のフェイクではないかと世間が騒ぎだしたことで、彼は真実をはなすことになった…
………
高松に戻り参加した、指揮者の #星出豊 先生の公開講座で、先生が長崎での取材の話をしてくださった。被爆し大きな傷を負いたくさんのものを諦めざるを得なかった女性が先生に託したこと。
「恨み言でも苦しいでも悲しいでもない、戦争はいけない!を伝えてほしい」
そう、どんな美談を乗せたって、戦争はダメだ! 決して始めてはいけないのだ。

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