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2011年07月05日

カフェ ド ミクニで茶なぅ


今日はテラスが気持ちいい

るいまま
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/
  
Posted by るいまま at 21:37Comments(0)美味いもの

2011年07月05日

大工町graph 石あかりフライヤーあり


graphの、ままこちに託してあります。

石あかり月あかりライブのプログラムはフライヤーの裏にございます。

graphさんでフライヤーもらってね


graphは、ライオン通りアカネヤを東に、カラオケ直のビルを奥に


ヨットの帆でつくられたbagは、むちゃステキよ。

ZENKON湯チームが背中に背負っていたのも、graphさんのbagです(^-^)/




るいまま
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/
  
Posted by るいまま at 21:30Comments(1)■石あかり(牟礼)

2011年07月05日

たみ家に 石あかりポスター ぺたっ


たみ家に石あかりのポスターをもってきて、またまた話し込んでおります。

まちについて語りだすと止まりませんな(笑)

るいまま
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/
  
Posted by るいまま at 17:16Comments(0)■石あかり(牟礼)

2011年07月05日

石あかりのポスター 迫力あるわ


石あかりロードのポスターみるたびに思うのは

迫力あるな!

ってこと。



この奥谷先生の書いてくださったロゴと、伏見さんのデザインの賜物だな

全部、牟礼でできるってのがすごいわな。



ほな、配達にまわります〜



るいまま
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/
  
Posted by るいまま at 14:53Comments(0)■石あかり(牟礼)

2011年07月05日

Re・set訪問記録~



昨日、Re・setさんに

「るいまま、遊びにおいでよ、なにかお手伝いできることがあるかもしれないから」

と呼んでいただき、ちょっとお邪魔していたんですが


ちょっとのはずが3時間もkitaさんと話し込んでしまい、いやはや申し訳ない。





私のなんかは、ほかにかわりもおらず孤独なもんですから

なかなか、つっこんで話のできる人もいないんで、こうやって忌憚なくはなしてくれる人と

3時間も話せるのは、嬉しいことです。





漫遊帖に対して、いろいろと提案いただいて、すごくありがたいお話もあったんですが




もし、まち歩きをビジネス化するんなら、まちかど漫遊帖は漫遊帖としていまの流れを続け

別にたてたもので、漫遊帖の人たちに利益還元できるかたちにしないと

今のままで、ビジネスプランをいれるのは、

それによって、今まで、漫遊帖のひとたちが培ってきたことに誤解をうけるだろうし

そんな誤解が、一番嫌なんですよと話をしました。






本格的に利益追求をする仕事となれば、これもあれもとできることは生まれるだろうし

もっともっととつなげていくこともできるのだけれど

漫遊帖の市民ツアープロデューサーのみなさんが、それで楽しいと思えるだろうか?

ってのが、私にとっては一番危惧するところなのです。






私がいたんでは、私の思いが強すぎてよくないとおもって一度離れ、

「るいままは、いらん」と言うみっふぃみたいな子もでてきて、別の動きがはじまったんですが

結局、その動きは、今はまだ、あんまり望まれていた動きではなかったようで

私は、元のように漫遊帖にかかわることになったのですが、

それがいいことか、悪いことかは、私自身わかりません。

とにかく今は、去年一年で、くだけそうになってしまった漫遊帖を元の軌道にのせるだけです。






それぞれのまちで、それぞれの発信があって、それを漫遊帖を使って広げるというのが

たぶん、まちかど漫遊帖のとるべき道だと、私は考えています




まちかど漫遊帖というのは、最初にたてたコンセプトどおり

ひとつひとつのコースがお店で、漫遊帖は商店街、お店がみんな元気なら

はたがどう思おうと(アーケードがきたないとか、舗装が悪いとか)、商店街は元気
なはずで

漫遊帖そのものが取り上げられずとも、そこに関わる人がとりあげられたら

それはそれでええやんと思っています。

そこから派生したものが広がっていけば、いいんです



崎さんが、新しいうどんツアーでとりあげられることも

東谷の農村歌舞伎がいろんなまちによばれることも

塩江の楠さんのコースが漫遊帖以外からもお客さまに乞われることも

菓子木型の市原さんのところに和三盆体験にいってきたっていうのも


入り口がどうであれ、漫遊帖をささえるひとりひとりが元気なら、いいんです





結局のところ、

自分のまちのことは、まちの人でないとわからんし、続いてもいかん

のですよ。



6年も続いていることをkitaさんにほめてもらいましたが、

大きな発信もできない貧乏所帯は、こつこつと積み上げ、笑いながら続けていかな

広がってはいかんのです


恰好よくよりも、そういう地べたの仕事が一番大事だし、おもろいことだしね。





kitaさんとの3時間は、いろいろ発見も多く

私は、Re・setさんてホームページ制作の会社だとおもっていましたが、それはほんの片隅のことで

集客をしてもうける仕組みづくりをしていく会社だったのです




kitaさんから、漫遊帖ってわからんよと言われ、「はぁはぁ、そうですか。そうですね」と言いながら、

でも、kitaさんちのこと、私もわかってなかったし(笑)


興味をもたない限り、そこをわざわざひらいて見ようとはおもはないのが「人間」で

ただ、興味をもってやってきたときに、がっちりつかめる準備は怠ってはいかんなと、

それには、まち歩きのような地味なことは、日々が勝負で

歩いて歩いて歩きまわって、「こんなんあるか?」ときかれたら

「あるでw」

と、すぐに出せるようにしとかな、そこでほこりをはたいているんではダメやなと

私は思います










そして、今朝、これと似たような話を、別のプロジェクトの子と

ずっと電話でしておりました


私の関わるプロジェクトは、どれもこれも「思い」先行型で、お金を集めるまえに動き出してしまい

存続するために、えらいこっちゃになるのが多いので(笑)

体がついていくうちはいいものの、そこから先のことを考え出すと

少年のように悩みはつきず

だからといって、「思い」を断ち切ることはできず

ここから先が正念場。



いつも思うのは、


人間はかすみを食って生きられたらいいのに

24時間寝なくても元気に動ける体があればいいのに

葉っぱがじゃんじゃんお金にかわればいいのに
(笑)



そんなことは、無理なので、なんとかしていくしかありませんな。







さて、牟礼町いって石灯りのポスターの配達して、

クレージフォーユーの振り込みして、

涼しくなったら、またまた夜中まで書き物です。




kitaさんに、るいままってなにしてるかわからんと言われましたが

そんなん、私やってわかりませんよ。(笑)


一言でくくれるような動きなら、「るいまま」である必要ないですから。



*************


kitaさんに言われて、一番ぐさりときたのは、

ずっと毎週発信していて、7年目に疲れ果ててやめたメルマガ。



yahooにスパム扱いされて、全部のメールがとどかなくなるは、そのままの文書別で使われるは

なかなか大変なことも多かったけど

地道な動きを、疲れてやめたことに、自分自身負けたような気がしとります。




メルマガ発信は、もう一回やらないとな・・・

それは漫遊帖としてではなく、私自身としてやっていかないとな。



ソフトあるんやって。



え? じゃ、前はなにでしてたんだって、全部手動ですよ(笑)





kitaさん、噂じゃ、結構怖いっていわれてたけど、ぜんぜん怖くなくて、むしろ優しかったよ 笑




  

Posted by るいまま at 13:13Comments(1)■るいまま

2011年07月05日

お土産は「金長まんじゅう」でいいよ~



てなわけで、今、一緒に影絵映画「もうひとりの桃太郎」を作ってくれている はたさん

しばらく徳島に通いますって言うので


金長まんじゅう、結構好きです!」



と、Twitterでかる~くふってみましたところ



ほかにも「金長まんじゅう」LOVE な人がたくさんでてきて、嬉しい限りであります

(いや、わたしは、ハレルヤの回し者でも、徳島のものでもありませんが 笑)





生前、アホほど働き者だった父は、年間200日は出張して日本中走り回っておりまして

高速道路のない時代から、徳島、高知なんかは日帰りコースではあったのですが

徳島に行くと、よく持って帰ってくれたのが「金長まんじゅう」でありまして

たぶん、最初、取引先の会社からもらって持ってかえったら

わたしがことのほか喜んだので、あとは考えることなく「金長まんじゅう」だったんだと思いますが、

父が亡くなってしまうと、金長まんじゅうともとんとご無沙汰になっておりまして



父の思い出=金長まんじゅう

と、重なり、ときどきノスタルジィに浸るのであります。





Twitterネタによりますと

徳島の小学校では、金長まんじゅうの工場見学がデフォだったけど、今もかな?」

とありましたので、調べると

今もやっておるようですな!http://www.hallelujah.co.jp/hpgen/HPB/entries/17.html



金長まんじゅうはすべて機械で生産されています。
機械で形を整え整列させ、表面の小麦粉をなじませる為、水を霧状にして吹きつけます。
そして、オーブンへ入れ焼き上げます。
写真は、オーブンから焼きたての金長まんじゅうが出てきた所です。長さ10mのオーブンは、3つに区分されています。
上火・下火で焼き上げ、温度180度~200度で11分間焼き上げます。
ラインに乗りながら、30分間冷まされた金長まんじゅうが包装され、それぞれのお店へ出荷されていきます。

(ハレルヤホームページより)







調べていたら、こんなのもでてきました

はじめてみた(笑) 相当年代物のようです~


金長まんじゅのうた

おとぎのくにの ゆめのあじ~♪



http://youtu.be/4hsVPBZKgSk







この「金長まんじゅう」の名前の由来

天保10年洪水で家を流され、大和屋の主人に助けられた金長は、

その大恩に感激し主人のもとで一生懸命働いたため大和屋は大繁盛した。

そこで四国狸の総頭六右衛門のもとで、2年間勉学し正一位の望みを果し、

再び大和屋で働こうと決意したが六右衛門に許されず、

彼の非凡を見込み娘婿にとの懇願を拒絶したため襲撃にあい、

小松島にのがれた金長は復讐に燃え、

阿波狸を総動員し淡路屋島の加勢を得た六右衛門と勝浦門の大合戦で金長軍が勝利を得た。

以来110余年彼の感謝報恩精神は偉大な感化を世人に与え、

弊社は金長の徳を讃えるため、その名にちなんで、【金長まんじゅう】を謹製した次第です。

(ハレルヤホームページより)






どんどん調べておりますと 6月24日に ハレルヤスイーツキッチン てのができてました。



http://www.hallelujah-sweets.com/




とはいえ




私の中の金長まんじゅうは、こんなおしゃれなところで食べるものではなく

夜中に仕事から帰ってきた父の鞄のよこに添えられた

「ハレルヤ」の袋にはいった 箱入りの金長まんじゅうで



できたてじゃないから、ややぱさついていたけれど

それは、大好きな人の無事の帰還を伝える味でもあったのです。






金長まんじゅう 食べたいなぁ・・・







  

Posted by るいまま at 09:57Comments(2)美味いもの