2023年11月05日
朝「現代茶人考」読了
【朝「現代茶人考」読了】
11/5 goodmorning
不眠症対策は、だんだんコツを掴みつつあり、最近の腸の動きのよさも含め、生活改善の効果はでている。
世の中に出回る不眠症の入眠対策には、寝る前に温めのお湯でゆっくり湯船につかるの、本を読むのと書いてあるが、そりゃ健やかに眠りにはいれるひとの場合だと、昨日の城ガールや奈美ちゃんの話で確信した。
私は、寝る前に38度の風呂にはいっていたのに、風呂にはいると覚醒して戦闘モードになる。寝床で本をよめば、ますます冴えて朝がくる。で、まるで眠れない何十年を過ごしてきた。
若い頃は、明け方寝で十分であったが、疲労回復が年々遅くなり睡眠睡眠と言い出したわけだ。
だから、本は朝読む、風呂は朝はいる。
今朝は、6時過ぎに起き、寝床で北大路魯山人の「#現代茶人考」をよんでいた。大正時代の数寄者たちの話。いやいや、おもしろかった。
日本の近代茶の湯を経済で守ったとされる人たちも一刀両断(笑)
読みながら、魯山人の一方的な批判だなと思ったが、ほうほうと思うことも多い。
先日、茶道具のコレクションを観にさんぽにいった、芦屋の山口吉郎兵衛の邸宅だった滴翠美術館には窯があり、陶芸教室をしていたが、
たいていの高名な近代茶人(近代茶人に限らず昔から)は、茶道具のコレクションに飽き足らず、茶室を作り、窯を作って職人に作品を作らせ、茶を極めようとしていた。
それはいささかの金額ではできないことだ。
朝日新聞社を創設した村山龍平の御影の邸宅にある茶室「玄庵」が、中之島香雪美術館に忠実に再現されている。
「玄庵」は、藪内流の茶室「燕庵」を模した茶室であり、燕庵は言わずとしれた古田織部が残した茶室だ。
音楽と言葉と茶「織部はバロックだ!」でもお話したように、織部は家康から切腹を言われたとき跡継ぎも責をとらされ根絶やしとなったので、織部の茶はそこで閉じた。
織部の妹が茶人藪内剣仲に嫁いでおり、燕庵は藪内家に寄贈されていたので残り、織部の茶の研究者たちにとっては貴重な資料でもある。織部の知恵がつまった燕庵の図をみるだけでも、唸るべきことは多い。
だから、藪内家は燕庵の写しをつくることは厳しく規制しているのに、なぜ村山邸に玄庵ができたかは…中之島香雪美術館でみた、村山邸の広大なるジオラマを観て、なるほどと思った。
日本の茶の湯は、何百年という歴史をもち、足利の室町時代から戦国の世には武将と商人ががっちり手を組んで国を動かすほどの力をもつ。
江戸時代には各藩の大名という大いなるスポンサーによって守られ発展したが、
文明開化で国ががらりと変わり近代になると、大名というスポンサーを失った茶の世界は、存続さえも危うい時代を迎える。
いやいや茶に限らず、日本の伝統的文化や信仰の形まで、えらいこっちゃになる。
だから、その時、お金儲けが下手で没落していく大名たちに変わり、成り上がりと言われても、金にあかしやがってと言われても、先を見通せた経済界のひとたちが文化の流出を止めたのは意味あることだと、私は思っている。
藪内家だって村山龍平に助けられたんだろうし、玄庵をつくったのは金にあかしての酔狂などではない。
が、魯山人が、近代数寄者茶人たちをみて、何もわからんやつらが!てなるのもわかる。
人間、みんながみんな仲良く楽しくはできないもんよ。そんな世の中は、発展もなんもないさ。
まるで眼中になけりゃ「現代茶人考」なんて書かないはずで、好きだけど嫌い、嫌いだけど気になる…て、とこだな。
そんなこんなで、朝茶。

余談ながら、るいままは自由にやれていいなぁと羨まれたんだが、私は茶のひとたちの眼中にないから自由にやれてんだよ(笑)
だからって伝統を軽視なんてしてないよ。伝統を守るひとたちに大いなる敬意を持ってるし、広く学びたいとも思ってるので、わからないなりに読んだり見たりを続ける。
ま、昨日、瓢箪を探していたら、押し入れにつっこんでた大きな袋がガサッと落ちてきて、なんだこれ?と見たら、少女茶人だった頃の免状の束だったという、敬意もへったくれもなかろうということもあるけどさ(笑)
それはそれ、これはこれ。
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