2015年04月08日
ひとり夜桜 まぁまぁこわい(笑)


夜さんぽより帰還。
今日は一日座り仕事で、風呂に入って寝るばかりの姿になってから歩いたので、暗いところ中心に(笑)
歩いている間に、いろいろおもしろげな情報がはいってきて、やっぱり高松おもしろいや。
今日もコーチに勝ったぜ♪
あっ、そう言えば猫以外と喋ってない。
※ひとり夜桜、まぁまぁこわい(笑)
2015年04月08日
花を愛でる

今日はお釈迦様の誕生日「花まつり」。晴れてよかったですね。
洲崎寺のお釈迦様も嬉しそう。
先ほど、お花見の出来るレストランを教えて欲しいというメールに気づき、
たぶん、花といえばここなんだとおもいます。「カフェジャルダン」
http://cafejardin.net/grdn.html
でも、レストランじゃなくてもいいなら
生島町にある「つむぎ」
http://tsumugi-ai.com/
ここに行くとき浜街道から少し五色台にはいり生島の球場の入り口にむかうと、沿道が桜の街道で、一昨日いったときピンクの絨毯になっていました。
仏生山の「むらっぺ」さんというコミュニティ喫茶店も目の前が仏生山公園で、お花が見事で、たぶん桜もこのあたりより遅いので美しいと思います。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1271355/1289483/67072657
地図
http://loco.yahoo.co.jp/place/g-jtiVcXEiwPQ/map/?
と、お知らせする。
まちに、花があふれる季節ですね。
2015年04月08日
靴をつくる 1 ハイヒール
紙ベースの小説は40で封印し、また60から書き始める予定だったのだけど、
ゆえあって、早めにはじめることに。
とはいえ、若いころのようにサラリーマンで時間があるわけでもなく、初めての靴づくりをからめつつ
小さくちょこちょこと。

小説「靴をつくる」
1「ハイヒール」
足を靴に滑り込ませるとき、あなたは何を考えるだろう。
靴屋の陳列台に並んだ美しい靴を手に取る。サイズをみて、値段をみて、足を包み込む具合を確かめる。買うにしろ買わないにしろ、自由にそんなことができるしあわせを考えた事があるだろうか。
靴屋の店員はいつもハルコの敵だ。時間をかけて宝探しをしているのだから、放っておいてくれればいい。それなのに、迷っている客を心配し「何センチをお探しですか?」と聞いてくる。
正直なサイズを言って、そんなサイズはありませんよと冷ややかな笑顔を返す人はまだいい。一生懸命に「これならどうでしょう?」と次々運んでくる輩は、ハルコを窮地に追い込む。
「いくつかな。38かな38.5かな。日本の靴は履かないから」と精一杯の見栄を張っているのに、38を持ってきて、つま先しかはいらない足を気の毒げに見ては「38.5を探して参ります」と健気に言う。 38.5だってはいりゃしないのだ。
中途半端に若い頃は、それでも頑張り、いや一生懸命な店員に負けて、小さな靴に無理矢理足を押し込んだ。そのうちきっと革が伸びてくると思って買った靴は何足あるだろう。
だから、靴は必ず旅先で買う。
人よりも大きく、幅が広く、高く盛り上がった甲が醜い大足をさらすのは行きずりの相手だけだ。なじみの客になれば、相手はどうにか足に合う靴を探して差し上げようと、やたら質実剛健な靴ばかり勧める。ハルコが欲しいのはそんな靴じゃない。
都会の駅の近くには、なぜか特殊なサイズが揃った靴屋が多い。無理矢理押し込んだ足は旅の電車の中で、もはやこれまでと膨れあがり、靴を買わずにはいられないことを知っているのかもしれない。
京都で買ったその靴は、それはそれは華奢で美しく、ピンととがったつま先が大人の女を満足させた。それでいて歩きやすく、まさに理想のハイヒールだ。
「甲がお高いほうがハイヒールを履いたときには、足を綺麗にみせるんですよ」
ひざまずいて、まるでシンデレラにガラスの靴を履かせるように、ハルコの足に靴を捧げる店員は言った。
「私、すごく歩くんです。大丈夫かな」
「大丈夫ですよ。この靴はお客さまの足にぴったりと合っています。大きいサイズはいくらだってありますが、靴は大きすぎても小さすぎてもだめなんです」
その店員の言ったとおり、ハルコの足にぴったり沿ったハイヒールは、京都の街中をいくら歩いても疲れず、新しい靴なのに靴擦れもせず、まことに快適に3日間の旅を終えた。
京都から帰ったあとも、ハイヒールはどの靴よりも出番が多く、仕事に出掛けるときも普段も履き続け、やがて着るものまで靴に合わせた形になっていった。
6月、長崎に出張となった。雨の季節だし、坂の多いまちを歩く仕事なので、必ずスニーカーを持ってきて下さいと言われ「はいはい」と返事をしたものの、大きくて甲の高い足にとってスニーカーだから楽ちんというわけではないのだ。
甲に合わせて紐を調整したのでは靴はぬげなくなる。ゆるゆるにすれば歩きにくい。いちいち紐を解くのもめんどうで、結局、長崎を5時間以上歩き回る仕事の間も、ハルコはハイヒールを履き続けた。
西麻布の宿舎から急な坂を登ったり下りたりしながら東京タワーの近くのホテルまで大使館通りをぬけたときも、このハイヒールが支えた。
一番よく働いていた頃で、なにもかもが楽しかった。
ヒールの底を直しつつ何年も何年も履き続け、ハイヒールは最後の時を迎えた。近所のシューズリペアの店に出しても、「これはもう革が弱ってしまってますからね、無理ですよ」とさじを投げられた。
そのハイヒールに、大きくても小さくてもダメで、足にぴったり合わせさえすれば、命の限りお供しますと教えられたのに、またハルコは、いい加減な靴の選び方をし、どれを履いてもしっくりこない何年かを過ごすようになった。
つづく
ゆえあって、早めにはじめることに。
とはいえ、若いころのようにサラリーマンで時間があるわけでもなく、初めての靴づくりをからめつつ
小さくちょこちょこと。

小説「靴をつくる」
1「ハイヒール」
足を靴に滑り込ませるとき、あなたは何を考えるだろう。
靴屋の陳列台に並んだ美しい靴を手に取る。サイズをみて、値段をみて、足を包み込む具合を確かめる。買うにしろ買わないにしろ、自由にそんなことができるしあわせを考えた事があるだろうか。
靴屋の店員はいつもハルコの敵だ。時間をかけて宝探しをしているのだから、放っておいてくれればいい。それなのに、迷っている客を心配し「何センチをお探しですか?」と聞いてくる。
正直なサイズを言って、そんなサイズはありませんよと冷ややかな笑顔を返す人はまだいい。一生懸命に「これならどうでしょう?」と次々運んでくる輩は、ハルコを窮地に追い込む。
「いくつかな。38かな38.5かな。日本の靴は履かないから」と精一杯の見栄を張っているのに、38を持ってきて、つま先しかはいらない足を気の毒げに見ては「38.5を探して参ります」と健気に言う。 38.5だってはいりゃしないのだ。
中途半端に若い頃は、それでも頑張り、いや一生懸命な店員に負けて、小さな靴に無理矢理足を押し込んだ。そのうちきっと革が伸びてくると思って買った靴は何足あるだろう。
だから、靴は必ず旅先で買う。
人よりも大きく、幅が広く、高く盛り上がった甲が醜い大足をさらすのは行きずりの相手だけだ。なじみの客になれば、相手はどうにか足に合う靴を探して差し上げようと、やたら質実剛健な靴ばかり勧める。ハルコが欲しいのはそんな靴じゃない。
都会の駅の近くには、なぜか特殊なサイズが揃った靴屋が多い。無理矢理押し込んだ足は旅の電車の中で、もはやこれまでと膨れあがり、靴を買わずにはいられないことを知っているのかもしれない。
京都で買ったその靴は、それはそれは華奢で美しく、ピンととがったつま先が大人の女を満足させた。それでいて歩きやすく、まさに理想のハイヒールだ。
「甲がお高いほうがハイヒールを履いたときには、足を綺麗にみせるんですよ」
ひざまずいて、まるでシンデレラにガラスの靴を履かせるように、ハルコの足に靴を捧げる店員は言った。
「私、すごく歩くんです。大丈夫かな」
「大丈夫ですよ。この靴はお客さまの足にぴったりと合っています。大きいサイズはいくらだってありますが、靴は大きすぎても小さすぎてもだめなんです」
その店員の言ったとおり、ハルコの足にぴったり沿ったハイヒールは、京都の街中をいくら歩いても疲れず、新しい靴なのに靴擦れもせず、まことに快適に3日間の旅を終えた。
京都から帰ったあとも、ハイヒールはどの靴よりも出番が多く、仕事に出掛けるときも普段も履き続け、やがて着るものまで靴に合わせた形になっていった。
6月、長崎に出張となった。雨の季節だし、坂の多いまちを歩く仕事なので、必ずスニーカーを持ってきて下さいと言われ「はいはい」と返事をしたものの、大きくて甲の高い足にとってスニーカーだから楽ちんというわけではないのだ。
甲に合わせて紐を調整したのでは靴はぬげなくなる。ゆるゆるにすれば歩きにくい。いちいち紐を解くのもめんどうで、結局、長崎を5時間以上歩き回る仕事の間も、ハルコはハイヒールを履き続けた。
西麻布の宿舎から急な坂を登ったり下りたりしながら東京タワーの近くのホテルまで大使館通りをぬけたときも、このハイヒールが支えた。
一番よく働いていた頃で、なにもかもが楽しかった。
ヒールの底を直しつつ何年も何年も履き続け、ハイヒールは最後の時を迎えた。近所のシューズリペアの店に出しても、「これはもう革が弱ってしまってますからね、無理ですよ」とさじを投げられた。
そのハイヒールに、大きくても小さくてもダメで、足にぴったり合わせさえすれば、命の限りお供しますと教えられたのに、またハルコは、いい加減な靴の選び方をし、どれを履いてもしっくりこない何年かを過ごすようになった。
つづく