2011年10月11日
日本女子大 窪田空穂居宅跡〜成瀬記念講堂
日本女子大横の幽霊坂をのぼり目白通りへ
■成瀬記念講堂



成瀬記念講堂は1906(明治39)年に「豊明図書館兼講堂」として建設されました。建設当時、外壁は煉瓦壁でしたが1923(大正12)年の関東大震災で大きな被害を受けました。しかし翌年には内部の造作を残して外壁および間仕切りの煉瓦をすべて取り除き、木造建築として再建されました。修築された講堂は、内部は創建時の部材を丁寧に保存・使用しており、特に木骨トラスやステンドグラスなどは創建時のままです。
その後1961(昭和36)年に創立60周年記念事業として補修工事が行われ、この時から創立者成瀬仁蔵の名を冠して「成瀬記念講堂」と改名されました。
設計は、日本近代建築界で非凡な才能を期待された清水組(現清水建設株式会社)の技師・田辺淳吉によるものです。特にステンドグラスは彼の作品のほとんどに見られるもので、その最初のステンドグラスが、この講堂にあります。
壇上に掲げてある3つの扁額は、創立者成瀬仁蔵晩年の書「信念徹底」「自発創生」「共同奉仕」で、本学の三綱領となっています。中央に設置してある「成瀬仁蔵胸像」は高村光太郎の作品です。
この講堂は、西洋の教会堂を思わせる日本の洋風建築として、本格的なものであり、明治時代の学校建築として、また西洋文明受容の観点からも貴重な遺産として、1974(昭和49)年に文京区の有形文化財に指定されています。
■窪田空穂居宅跡


窪田空穂終焉の地
窪田空穂 明治10年~昭和42年(1877~1967)。本名は通治。空穂は号。明治、大正、昭和の歌人、国文学者。
窪田空穂は明治10年(1877年)6月8日、長野県東筑摩郡和田村(現・松本市和田)に生まれる。
その文筆活動は、短歌、小説、随筆、評釈と多彩であった。多数の歌集のほか、万葉集、古今集、新古今集の評釈、源氏物語の現代語訳などを著した、一方早稲田大学教授として多くの人材を育てた。昭和16年、日本芸術院会員。昭和33年、文化功労者。
明治45年(1912年)竹早町(現・小石川5丁目)に居住して以来、文京区とのゆかりが深く、この地に46年間住み、昭和42年4月12日ここで没した。享年89歳。
■窪田空穂wiki
Posted by るいまま at 15:26│Comments(0)
│東京
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