2024年09月17日
当たり前はみんな違う
【当たり前はみんな違う】
9/17 goodmorning
昨日は、夜 映画「あんのこと」を観てから「海のはじまり」を観た。
与えられた状況で生きなくてはならない 子どもの苦しさを、おとなはどこまでわかっているのだろう。
たぶん、わかってはいないな。

あんの周りにでてくる おとなはみんな問題を抱える。暴力をふるい売春を強要する母親、身体が不自由であんを助けられない祖母。16歳で覚醒剤を教えられ彼女の人生は暗闇の中にある。
覚醒剤で検挙されて知り合った警察官と、彼が関わる自助グループ、そこを取材する記者によって、あんは新しい暮らしを知り、仕事を得て、夜間中学にも通い、立ち直っていく。
がしかし、警察官は自助グループ内の誰かに嫌われ、グループ内の女性を脅し関係をもったことをリークされ、それを明らかにしたのが、友だちだと思っていた記者だった。
やがてコロナに振り回され、仕事も学び舎も失い、あんはふたたび母親に連れ戻される。唯一の希望だった、預かり育てていた、自分と似た境遇の赤ん坊も取り上げられ、彼女には絶望だけが残る。
お母さんについていっちゃダメだ! と、画面のこちらで思っても、彼女のそこまでの人生で、彼女が経験したものの大方は、そこにしか無かったのだ。
ひとにとっての当たり前は、みんなの当たり前ではない。

そのあとにみた、「海のはじまり」11回。こちらも子どもは女の子だ。
母親とふたりの濃密な暮らしが、母親が亡くなることで消え、そこまでの彼女の人生に無かった父親と暮らすことになる。
別れたとはいえ、母親は未だ見ぬ父親のことを決して悪くは言っていなかったのだ。だから、女の子は父親とふたりで暮らすことを拒否しなかったし、彼との暮らしは母親との暮らしと同じくらい愛あるものだと期待もしていたはずだ。
彼女の7年の人生は、貧しくとも愛に満ち溢れていた。母親の愛情は彼女だけむけられ、母親や彼女を取り巻く周りのひとたちも穏やかにふたりを救う。
父親は、娘が生まれたことさえしらされず、昔彼女だった女性の葬儀にいって娘の存在を知らされ、父となる道を選ぶのだが、
何分にも、その不器用さに、視聴者はイライラしたり、気の毒がったり忙しい。
何でも先に気づくしっかりものの母親や、年上の今の彼女に支えられてきた男子特有の、言葉数少なく優しくて優柔不断な男性は、父親としてどう育っていくのか、そこは最終回にのこされた。
女の子の母親が、彼を選ばなかった理由はなんとなくわかる。彼は良い人で、結婚していれば、そのまま父親にはなれただろうが、父親になることで、彼は彼自身を失うだろうと彼女は思ったのだろう。
漂うように現状に甘んじることをヨシとしない女子と、優しすぎる男子。
私は、真面目に努力すれば必ず成果はでて順番はあがると、学校のお勉強のように思い、自分の能力に気づかず、まわりに迷惑をかける人間が苦手で、
病気で亡くなった母親より、父親のこの甘さのほうに問題を感じる。
父親もまたシングルマザーに育てられた子ども時代があり、自分の母親から話もきいてるのに、何かっこつけてんだよ。お前はバカか?と何度も思う(笑)
水季(母親)が勝手に生んだのが一番いけないんじゃん、メメ(父親)がかわいそうすぎると、ドラマと現実がぐちゃぐちゃになっている意見も飛び交っている。
じゃ、父親役が目黒蓮じゃなきゃ、きみたちはどうおもうのさ?(笑) と、突っ込みたくもなるけど、
すべては観る側の、それまでの人生の当たり前から来ている。
重ねて書くのは、
ひとにとっての当たり前は、みんなの当たり前ではない。
ちなみに、映画「あんのこと」は、2020年コロナ禍の日本で起きた実話に基づく。

Eテレのラジオ体操は6:25からと知る9月17日。今日は、ラジオ体操第二からはじまり、あぁやっぱり第一からしないといかんなと気づく。
朝ごはんは、とっくに済んでる。
9/17 goodmorning
昨日は、夜 映画「あんのこと」を観てから「海のはじまり」を観た。
与えられた状況で生きなくてはならない 子どもの苦しさを、おとなはどこまでわかっているのだろう。
たぶん、わかってはいないな。

あんの周りにでてくる おとなはみんな問題を抱える。暴力をふるい売春を強要する母親、身体が不自由であんを助けられない祖母。16歳で覚醒剤を教えられ彼女の人生は暗闇の中にある。
覚醒剤で検挙されて知り合った警察官と、彼が関わる自助グループ、そこを取材する記者によって、あんは新しい暮らしを知り、仕事を得て、夜間中学にも通い、立ち直っていく。
がしかし、警察官は自助グループ内の誰かに嫌われ、グループ内の女性を脅し関係をもったことをリークされ、それを明らかにしたのが、友だちだと思っていた記者だった。
やがてコロナに振り回され、仕事も学び舎も失い、あんはふたたび母親に連れ戻される。唯一の希望だった、預かり育てていた、自分と似た境遇の赤ん坊も取り上げられ、彼女には絶望だけが残る。
お母さんについていっちゃダメだ! と、画面のこちらで思っても、彼女のそこまでの人生で、彼女が経験したものの大方は、そこにしか無かったのだ。
ひとにとっての当たり前は、みんなの当たり前ではない。

そのあとにみた、「海のはじまり」11回。こちらも子どもは女の子だ。
母親とふたりの濃密な暮らしが、母親が亡くなることで消え、そこまでの彼女の人生に無かった父親と暮らすことになる。
別れたとはいえ、母親は未だ見ぬ父親のことを決して悪くは言っていなかったのだ。だから、女の子は父親とふたりで暮らすことを拒否しなかったし、彼との暮らしは母親との暮らしと同じくらい愛あるものだと期待もしていたはずだ。
彼女の7年の人生は、貧しくとも愛に満ち溢れていた。母親の愛情は彼女だけむけられ、母親や彼女を取り巻く周りのひとたちも穏やかにふたりを救う。
父親は、娘が生まれたことさえしらされず、昔彼女だった女性の葬儀にいって娘の存在を知らされ、父となる道を選ぶのだが、
何分にも、その不器用さに、視聴者はイライラしたり、気の毒がったり忙しい。
何でも先に気づくしっかりものの母親や、年上の今の彼女に支えられてきた男子特有の、言葉数少なく優しくて優柔不断な男性は、父親としてどう育っていくのか、そこは最終回にのこされた。
女の子の母親が、彼を選ばなかった理由はなんとなくわかる。彼は良い人で、結婚していれば、そのまま父親にはなれただろうが、父親になることで、彼は彼自身を失うだろうと彼女は思ったのだろう。
漂うように現状に甘んじることをヨシとしない女子と、優しすぎる男子。
私は、真面目に努力すれば必ず成果はでて順番はあがると、学校のお勉強のように思い、自分の能力に気づかず、まわりに迷惑をかける人間が苦手で、
病気で亡くなった母親より、父親のこの甘さのほうに問題を感じる。
父親もまたシングルマザーに育てられた子ども時代があり、自分の母親から話もきいてるのに、何かっこつけてんだよ。お前はバカか?と何度も思う(笑)
水季(母親)が勝手に生んだのが一番いけないんじゃん、メメ(父親)がかわいそうすぎると、ドラマと現実がぐちゃぐちゃになっている意見も飛び交っている。
じゃ、父親役が目黒蓮じゃなきゃ、きみたちはどうおもうのさ?(笑) と、突っ込みたくもなるけど、
すべては観る側の、それまでの人生の当たり前から来ている。
重ねて書くのは、
ひとにとっての当たり前は、みんなの当たり前ではない。
ちなみに、映画「あんのこと」は、2020年コロナ禍の日本で起きた実話に基づく。

Eテレのラジオ体操は6:25からと知る9月17日。今日は、ラジオ体操第二からはじまり、あぁやっぱり第一からしないといかんなと気づく。
朝ごはんは、とっくに済んでる。
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。