2024年04月24日
運動ではない。
4/24 goodmorning
なんでも良きことと思ってはじめても、賛同者が増えすぎると「運動」になり「過多」になり、やがて「色褪せ」飽きられてしまう。
運動になって社会を動かすよりも、自身の動き方。
なんてことを思う朝。

【柳は茶の病と言った】
夕べ、茶人が預かりものを届けてくれたので立ち話。
少し前、茶人が、#官休庵の盆略点前 が生まれたときのことが書かれた書籍を読み返して書いていた文に「さすがのもんだ!」と思ったので、
あれはどなたが書かれた本なんです?と聞く。
書かれたのは、武者小路千家13世家元 徳翁宗守 #有隣斎。大正2のお生まれの宗匠で、1999年平成11年まで存命だったので、茶の湯のものでない私でも 有隣斎の掛物はよく目にする。
有隣斎宗匠は優れたひとだったぶん、怖いひとというイメージがあったそうで、なかなか踏み込むことがなかったけれど、
なぜ、今ある官休庵の盆略点前を生み出したか?の話をよんで、50年前に宗匠自らが、いま、私たちが憂うことを考えて生み出してくれたのだと知ったと茶人。
茶が、いまのまま特別なひとのためだけになってしまうと、たぶんどんどん先細る。
人間て、カテゴライズされたり、ひとよりちょっと上からもの申すマウンティングが好きだから、そういうひとは残るかもしれないが、
それはやはり後退だ。
流派の継承を担う宗匠たちにとっても、それはきっと深刻な問題で、漫然と次に繋いでいくだけではなく、いまの社会や次の時間、100年後の未来を見据えて考えてらっしゃるはず。
そして、誰よりも、茶の時間がもっと浸透しなければ文化が滅びることをわかっていらっしゃるのだろうと、茶の湯とは離れたところでくらす私は思う。
#盆点前ガールズプロジェクト なんてふざけたネーミングで始めた茶室る庵活動だから、とかく甘く見られがちなんだが(笑)
流派は180以上あると言われる時代。
盆略点前だけで茶会をする、#ならず者 だって、文化の衰退に危機感をもっているし、憂いてもいる。
人真似ができないぶん、見立て道具しかない茶室で、舞台(茶会)に合わせて点前も考える。
そのとき、いつも思うのは、これを考えたひとは、なぜこうしたんだろうってこと。だから、何を残し何を省くかには大いに頭を使う。
盆点前ガールズをみて、「(流派の茶と)ちがいます!」ってマウンティングしたり、せせら笑うのはやめてね。
私は意地悪なんで、ああなんて狭いお心のお茶人さんだことって思ってるよ(笑)
あなたが違うと思うのは、あなたが真似てる流派と違うだけ。
あなたの宗匠は、もっと未来をみていると思うよ。
てなわけで、#谷晃 著 「#茶人たちの日本文化史」 を再び読む。
前回読んだときには読み飛ばしていた、#柳宗悦 の章で、柳が茶の湯につきつけた「茶の病」は、なかなか辛辣だ。
しかし民藝運動も、その後問題を抱える。社会は変化していくものだ。

なんでも良きことと思ってはじめても、賛同者が増えすぎると「運動」になり「過多」になり、やがて「色褪せ」飽きられてしまう。
運動になって社会を動かすよりも、自身の動き方。
なんてことを思う朝。

【柳は茶の病と言った】
夕べ、茶人が預かりものを届けてくれたので立ち話。
少し前、茶人が、#官休庵の盆略点前 が生まれたときのことが書かれた書籍を読み返して書いていた文に「さすがのもんだ!」と思ったので、
あれはどなたが書かれた本なんです?と聞く。
書かれたのは、武者小路千家13世家元 徳翁宗守 #有隣斎。大正2のお生まれの宗匠で、1999年平成11年まで存命だったので、茶の湯のものでない私でも 有隣斎の掛物はよく目にする。
有隣斎宗匠は優れたひとだったぶん、怖いひとというイメージがあったそうで、なかなか踏み込むことがなかったけれど、
なぜ、今ある官休庵の盆略点前を生み出したか?の話をよんで、50年前に宗匠自らが、いま、私たちが憂うことを考えて生み出してくれたのだと知ったと茶人。
茶が、いまのまま特別なひとのためだけになってしまうと、たぶんどんどん先細る。
人間て、カテゴライズされたり、ひとよりちょっと上からもの申すマウンティングが好きだから、そういうひとは残るかもしれないが、
それはやはり後退だ。
流派の継承を担う宗匠たちにとっても、それはきっと深刻な問題で、漫然と次に繋いでいくだけではなく、いまの社会や次の時間、100年後の未来を見据えて考えてらっしゃるはず。
そして、誰よりも、茶の時間がもっと浸透しなければ文化が滅びることをわかっていらっしゃるのだろうと、茶の湯とは離れたところでくらす私は思う。
#盆点前ガールズプロジェクト なんてふざけたネーミングで始めた茶室る庵活動だから、とかく甘く見られがちなんだが(笑)
流派は180以上あると言われる時代。
盆略点前だけで茶会をする、#ならず者 だって、文化の衰退に危機感をもっているし、憂いてもいる。
人真似ができないぶん、見立て道具しかない茶室で、舞台(茶会)に合わせて点前も考える。
そのとき、いつも思うのは、これを考えたひとは、なぜこうしたんだろうってこと。だから、何を残し何を省くかには大いに頭を使う。
盆点前ガールズをみて、「(流派の茶と)ちがいます!」ってマウンティングしたり、せせら笑うのはやめてね。
私は意地悪なんで、ああなんて狭いお心のお茶人さんだことって思ってるよ(笑)
あなたが違うと思うのは、あなたが真似てる流派と違うだけ。
あなたの宗匠は、もっと未来をみていると思うよ。
てなわけで、#谷晃 著 「#茶人たちの日本文化史」 を再び読む。
前回読んだときには読み飛ばしていた、#柳宗悦 の章で、柳が茶の湯につきつけた「茶の病」は、なかなか辛辣だ。
しかし民藝運動も、その後問題を抱える。社会は変化していくものだ。

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