2021年10月07日
受け取った言葉 みすゞ 一葉
10/7 goodmorning 【みすゞ 一葉】
るいまま組が重ねて10年くらい公演している作品はいくつかあって、音楽と言葉「金子みすゞ」もそのひとつ、くりすの母、みっけのみすゞ、娘のぴよで話は進む。
みすゞを語るとき、母ミチ、娘ふーちゃんの存在は外すことはできない。
金子みすゞの詩は、東日本大震災のあと乱用されたことによって好き嫌いが分かれてしまったが、私の「金子みすゞ」のなかでは、詩は音楽として使い、時系列にも並べていないし、詩についての解説は一切しない。
この作品を書くにあたって、私がみすゞから受け取った言葉は、詩ではなく、みすゞが友人に残した、
「みんなでいくのは楽しいけど、たまには嫌なこともきかなくてはならないから」だ。
40分もかかる女学校までの道のりを、みすゞは友だちと離れ、ひとり違うルートを歩く。母ミチが彼女に教えたように、たくさんのものをみて想像を広げる時間は少しも長くなかった。
けれど、みんなと一緒に通い、友だちとの和を乱さないために意に添わぬ同調をするのは苦しいことだ。
みすゞを調査し作品として公演したあと、樋口一葉の調査をはじめたとき、切ない思いに胸が潰れそうになった。
山口県の片田舎 仙崎でうまれ、都会といえば下関しか知らなかった みすゞにとれば、西條八十と本だけが心の頼りだったのに対し、
貧しくて苦しい暮らしぶりながら、江戸東京という大都会で暮らした一葉の一生は、ひととの出会いや刺激の数がちがう。
ふたりとも、20代半ばで命を落とす作家だが、その作品はいまも色褪せない。
一葉は、亡くなる直前、妹に語る。
「私が亡くなったあとも、いろんなひとが私の作品を読み、それが時代を超え繋がり、やがて違った大きな作品となっていくだろう」
私にとって、みすゞも一葉も大切な作家だ。作品は、彼女たちの作品ではあるが、後のひとたちによって、様々な受け取り方をされるのは仕方ない。
それをも覚悟し、作家たちは書き続ける。いや、詩や小説に限らず、昨夜みた映画MINAMATAにしてもだ。
エンターテイメントは、時に軽んじられるが、それを通じ、ひとがあれもこれもと語りあうことを願い、石は投げられるのかもしれない。
その片隅にいる私も、真夜中に調査資料を読んでいるとき、みすゞが亡くなる前に写真館で写したと言われる写真の目が動きこちらを見たことを忘れない。
書く以上は、あなたもともに伝えるひとになるのだと言う意味だったのかもしれない。
ニュースチャンネルでは、眞鍋淑郎さんが、「(日本に帰らないのは) 私には、周囲に同調して生きる能力がないからです」と外国人記者を笑わせている。
みんな仲良しの日本人には、痛い話だな(笑)
では、朝の珈琲

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