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2021年10月06日

MINAMATA 苦海浄土

【水俣】

「写真はせいぜい小さな声にすぎないが、ときたま――ほんのときたま――一枚の写真、あるいは、ひと組の写真がわれわれの意識を呼び覚すことができる。……私は写真を信じている。もし充分に熟成されていれば、写真はときには物を言う。それが私――そしてアイリーン――が水俣で写真をとる理由である」

MINAMATA 苦海浄土


遅れを取りましたが、映画「MINAMATA」観てまいりました。ジョニーデップは、どこからどうみてもユージンスミスにしかみえず、元奥様のアイリーン美緒子さんまで見間違うほどだったとか。

感想は、また教授とゆっくり話してから。


今日は、別の水俣・・・


水俣病患者の聞き書きから始まった「苦海浄土」(石牟礼道子著)という本がある。私が中学生だったときの推薦図書だ。

私はこの本を二冊贈られている。

一冊は読書感想文を書くようにと先生か父から、もう一冊は学校にあまり行かなくなった(行けなくなっていた)私に勉強を教えに来ていた大学生から。

あの頃は、自分のことで手一杯で(世界で一番自分が不幸だと思っていた頃だ)、とても社会を考える余裕などなく、記憶はとても薄い。

どうしてこの本が当時の中学生の推薦図書となったのか、50年近くたって、今日ようやく理解した。


私が生まれた1960年前後から、日本は急速に経済成長していく。

巨大化していくものの影には、かならず犠牲になるものがあり、それはいつだって、小さきもの、弱きもの、声なきものだ。それから10年余が過ぎ、そのしっぺ返しはやってくる。

「公害」や「光化学スモッグ」という言葉が舞うなか、「水俣病」という言葉も新聞に載るようになる。

しかし、果たして、どこまでそれを自分に引き寄せ考えただろう。どこか、遠い国の知らない人たちの騒動としてしかとらえてなかったのではないか?

豊かになった暮らしの裏側にあった、もうひとつの人生を推薦図書という形にして渡されたのに、当時の私の精神は、あまりに幼く、受け取ることもできないままだった。


MINAMATAの主人公となるカメラマン ユージン・スミスが水俣に渡ったのは1970年52歳のとき、水俣にはいる直前結婚した妻のアイリーンは21歳だった。それから3年間の水俣でのふたりと人々との時間を映画は描く。

教師を目指していた家庭教師も21歳だった。

彼女が、苦海浄土を手にしたとき、これを次の世代に伝えなくてはならないという焦燥にかられたことは、今なら想像できる。

私はふがいない自分を恥じます。




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