2025年02月14日
流行り廃りがあるのだから
【流行り廃りがあるのだから】
茶碗の世界を語るには無知すぎるけど、今日、茶碗展にいくので、話のマクラにさせてもらうのだが、
茶の伝来とともに器となる茶碗も渡り、その流行りは、ひずみなき完全に美しさを求めていた「唐物」から、やや抜け感のある「高麗もの」になり、
やがて利休が提案する「和物」が生まれ、織部の「強い個性」がもてはやされるが、それも下火となって、
ふたたび「唐物や高麗もの」が流行り、遠州や宗和は戦国の世の強い個性より、仁清のような緻密なものに美をみつけ、釉薬や絵付けに美を求めるようになった。
こうやってざっくり見るだけでも、流行は時代を写している。茶碗だけじゃなく、文学も絵画も住まいも食べ物もetc
もはや出尽くした感があって、奇をてらってるつもりのものに既視感があったりするのは致し方ないこと。
ならば、軽薄なことより古典をもっと面白がれば、そこに新鮮や斬新があるのにと思うが、
時代だけじゃなく、ひとりの人間の中でも心に響くものは変化していくものだから、それを強制はできない。
だから、これは、「あぁ、しょうもない!」と思っても、決して口に出してはならんという、戒めの日記なのだ(笑)

2025年02月14日
Thank you family
【Thank you family】
2/14 goodmorning
世の中はチョコレートの日で賑わっているが、我が家は家族の日。結婚記念日とも言うが、もはや何年目だったが記憶が危ういくらい長い時間が過ぎた(たぶん38年 笑)
やりたいことをやり続ける環境を与えてくれる、夫と娘に感謝。

2025年02月14日
意外に歩いてないのよ
【意外に歩いてないのよ】
まちかど漫遊帖の会議で「さんぽ」の話になり、「#高松はほんまにコンパクトシティ なんだよ。栗林町のるいまま組事務所から三越まで3000歩、ゆめタウンも3000歩。どっちも往復しても7000程度よ」と言うと、
事務局のKKコンビが「えー! もっとあると思ってました」とおどろいたので、
「便利な田舎は、都会と違って駅も小さいので、よほど心して歩いてないと、厚労省オススメの8000以上にはならないよ」とお教えする。
厚労省のひとたちは、丸ノ内線と千代田線と日比谷線に囲まれた「霞が関駅」を歩くだけで、すごく歩数稼いでるんだよ。きっと(笑)
さて、晩ごはん。

…………
「京都駅から同志社の向こうの天寧寺まででも、迷子にならなかったら10000歩しかないんだよ。私は15000歩かかったが」と、いつものネタを話すと、
「普通、歩こうと思いませんよ!」と、その場にいた全員に否定されたので、地下鉄があるのは知っておる!と答えておいた(笑)
【無理か…】
私も千五郎さんの狂言のお稽古に行けないものかと、いま決まっているスケジュールを書き出してみる。これは外せないものばかり。
ここに茶室る庵のお稽古、るいまま組の稽古、漫遊帖や会議が入ってくるので、これ以上増やせば、資料を読む時間も書く時間も、芝居を観に行く時間も無くなる。
薄々わかっていたが…。むー。
観て学べってことだな。
今年は、なにか初めるにいい年なのになぁ。

2025年02月14日
シャドウワークを読みながら
【シャドウワーク】
五色台の帰りは、いつものご褒美。 宇多津cafe tenten でひさびさの厚切りパンのピザトースト。
#シャドウワーク(報酬なき影の仕事)を読むほどに、シャドウワークを当たり前に強いられた時代を経て、おかしいんじゃないかと思うひとが現れ、シャドウワークは世の中に存在してはならない考え方となった。
では、それが世の中から全て消えたらほんとに社会や日常はまわるのか?
成熟したシャドウワークと、未熟なシャドウワークが同じ考えの中にあっていいのか?
シャドウワークは、他者に強いられるものではなく自身が選ぶものではないか?
まずは、当たり前に強いていたひとたちこそが、自らシャドウワークに身を置いてみることが必要なんじやないか?

茶人
自ら選ぶ人が多いので、なかなか報酬には結びつきませんね。あの使命感みたいなのはなんなんでしょうね。自己満足だとしても、とても不思議です。
るいまま
報酬を得て欲しいスキルあるひとが得ようとせず、なにもできないひとが高額の報酬を主張する。シャドウワークを読むほどに、歪なものを感じてきました。
茶人
優しい人が多いのかどうかはわからないけど、いつも釈然としない思いが残ります。
るいまま
優しいじゃないような気がします。
日本だけかもしれないけど、スキルの高い人は、たくさん物を知っているから、自分はまだまだと思い言い出せない。
スキルの低いひとは、それに気づいてないから、バカみたいなことを言う。
…………………
月に一度の五色台
木曜日なのに、すごく混んでた。
