2025年01月12日
西垣正信の「冬の旅」
【冬の旅】
冬の夜、無機質な建物のなかで、#西垣正信 のギターで、シューベルト「#冬の旅」を聴く。
この音楽が生まれるきっかけとなったミュラーの詩は、愛したひとへの思慕で進む。
この詩を朗々と歌いあげる組曲「冬の旅」を所々聴いたことがあり、あれを全曲聴くのは、なかなかしんどいものだとおもっていたが、
言葉の装飾を取り払い、シューベルトに降りてきた裸の旋律をギターだけで奏で進む「冬の旅」は、
打ち砕かれた思い、わずかな喜びの儚さ、生き進むことの苦しみ、老いゆく残酷さを、言葉以上に突き刺す。
シューベルトは「冬の旅」を書いたあと間もなく亡くなり、ミュラーもその少し前に亡くなっているので、ミュラーが裸の旋律を聴けたかどうかわからないが、
最終章「辻音楽師(老楽師)」の最後の一音を聴いたとき、ミュラーは何を思っただろう。



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コンサートのあと、ギタリスト西垣正信の魔法をといた #蘊蓄ギタリスト や、生まれたばかりの子猫のような好奇心溢れるピアニスト、ここちゃん、中川さん、石本先生と話す。
ここちゃんや石本先生が、思いを文章化するとき、書くほどに自分の思いとは離れた所に行ってしまうような気がすると言った。
私は言葉が生まれたときから真実などなくなったのではないかと思っている。物事は見る方向で解釈はかわる、吐き出された時点で主観をふくむ。
ひとは、言葉や文字を持つ前から思いを伝えあっていた。言語のない時代にも生まれた崇高たる文化はあると蘊蓄ギタリストが言う。
私たちは、多種多様な情報を得るほどに本質を見失い、薄っぺらになってしまうのではないかと思う。
装飾の多いものは、一見素晴らしく思うが、実は虚に塗り固められ息苦しいばかり。
…と気づくのは、清濁を何度もくぐってから。
清く美しい世界には、必ず芥たまる場があることを子猫に伝えることを忘れたことが悔やまれる。

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