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2011年08月07日

いのちを考えた 石あかり月あかりライブ 2夜目リポート

ZENKON湯建設チームが東北に向かっています。

今回のチームの相棒は、新車のハイエース「くみちゃん」(笑)

そのリポートは、またのちほど書いていきます。

今回は、私自身が、強烈に忙しい時期の出発なので、サイトーくんや章師匠とも

クラックで飲みながらきいた情報しかないのですが、でも二人が相変わらず

熱かったので、大丈夫!




さて、後方部隊として、さぬきに残る私ができることは、彼らを支援すること。

支援の形はいろいろあるけれど、私は、石あかり月あかりライブの期間 全7回のあいだに

ZENKON湯の活動を少しずつ、生の声で伝えています。



その石あかり月あかりライブ 2夜目は、箏曲「三好慶子」と、わたしのセッション

憑かれるように書いた「金子みすゞ」を中心にした4人の女たちの独白ですすむ

小説「みすゞのこと いのちのこと」を

慶子さんが読み、そこから感じたものを17弦琴というベース音の琴を弾く。

たった ふたりの舞台です。





この小説は、最初、大正時代に生まれた一人の女の生き方について書き、

それを桜ん慕工房のkeikoさんが衣装コーディネイトしてくださり

るいまま組のぴよ、みっけ、さっちが、それぞれの女を無言で演じる人形ぶりで表現し

途中に、ソプラノ林里美が、みすゞの詩の歌をうたってくれ

どちらかというと「華やかな女性らしい」ステージだったのですが




今回、三好慶子とのセッションにあたって、もう一度構成しなおし

「いのち」の部分を書き足して

今、三好慶子と、るいままが、表現するものとして

「金子みすゞ」の詩をいっさい語らないというスタイルに変更




できれば、フリーセッションとして、稽古で決め込まず、当日の気に任そう



と、話したのも、二人だけのステージだからできる、実験的なステージだから。




金子みすゞのステージは、いつもなにか起きます。

1回目は、ソプラノの林里美ちゃんがしんどくなり、

2回目は会場を提供してくれたレストランのマスターが感傷的になってしまい

そして、今回は、わたし。

午前中の仕事を終えて、着物に着替えて出かけようとしたら

着物がぐっしょり濡れるほどの冷や汗が流れ

これはなにか変だと、事務所にもどって着替えてからでかけることに。



なので、最初は、大正時代の夏着物で語る予定でしたが、普通のワンピースで演じることに

いのちを考えた 石あかり月あかりライブ 2夜目リポートいのちを考えた 石あかり月あかりライブ 2夜目リポート

(これが普通のワンピースかどうかは、個人判断で 笑)




本番にスパークするために、リハーサルは軽く打合せ程度

いのちを考えた 石あかり月あかりライブ 2夜目リポートいのちを考えた 石あかり月あかりライブ 2夜目リポート



野外公演のときは、舞台も照明も音響もカフェも時間勝負なんだけど、すべてがのんびり

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泥縄ガールズは、いつもどおり(w

いのちを考えた 石あかり月あかりライブ 2夜目リポート


境内に中継するためのカメラも設置終了

いのちを考えた 石あかり月あかりライブ 2夜目リポート



いつもは、順番に食べて食べてという「まかない」も、ゆっくりと

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だから、会場の設置も完璧にととのい、開場10分まえも、この余裕

いのちを考えた 石あかり月あかりライブ 2夜目リポート


こちら、氷を届けてくれる、庵治の村井くん。いつもありがとうね!!

いのちを考えた 石あかり月あかりライブ 2夜目リポート

こうした愛の支援で、るいまま組は救われております!!









この日は、室内公演なので、ご予約いただいた方が優先。(50席なので)

ところんが、名簿にはないのに「申し込んだ」っていうおじさんがやってきて、わぁわぁ言いだし

受付のぴよたちは大変。



それでも笑顔をわすれない。さすがのチャーミング課です!




■ご予約は!

お電話いただいてメッセージをのこしていただいて、コールバックする、

メールいただいて、返信する。

ちゃんと受付表に書く。

以外は、受け付けておりませんで、よろしくです




一番ダメなのは、ご本人だけが言ったつもりになっていること

バタバタ片付けをしているところで、「いくで」だけでは、気づかないこともあるので

受け付けておりません。

石あかりロードの本部にねじこんでいっても、それは管理が違うのできけません

いのちを考えた 石あかり月あかりライブ 2夜目リポート

言うた言わないの間違いをなくすため、そうしております。ご理解ください!





それと、るいまま以外の付先となっている、

洲崎寺さんの電話番号が間違っていたようです

ちらしを作るときに、洲崎寺さんも受付のところに入れてもらっていいですか?というと

掲載されていたので、これで一安心なんて思ってたら番号そのものが違っていたようで、

お客さまが教えてくださって、発覚。ありがとうございました!!

間違った先のお宅には、大変ご迷惑をおかけしました


(私は、昨日まで洲崎寺さんの番号をしらなかったので、お任せ状態で、申し訳ない!  

大丈夫だと思っても、確認は絶対必要!)


昨日確認!  087-845-2663 (洲崎寺) です!




***********


いのちを考えた 石あかり月あかりライブ 2夜目リポート


「山口県大津郡仙崎は、西のみかわ湾、東の仙崎湾にはさまれ、日本海に向かって三角につきだしたちいさな港町です。

 昔は、北前船の寄港地で、夏のはじめ、大羽鰯がとれる頃になると、遠く北陸・加賀からも、鰯をおって船がきたそうで、そのときは、明け方までガス燈がつき、街中がお祭りのような賑わいになったと言います。

 このまちは、鯨とりのまちでもありました。
「鯨一頭とれば七浦にぎわうと」と言われる時代、鯨はまちに大きな恵みをはこんできました。
 けれど、「たとえ生計のためとはいえ、生き物のいのちを奪うのはしのびがたい」と、このまちの人たちは、捕獲した鯨の一頭一頭に法名をつけ、寺の過去帳に残しました。
特に子を身ごもった母鯨のお腹からでた子鯨は、埋葬し、墓もたて、手厚く供養をしたといいます。

 海の恵みが、まちを活気づけ、その恵みに対しての感謝と鎮魂に溢れるまちでした。」





いのちを考えた 石あかり月あかりライブ 2夜目リポート


「運命というのは残酷なものです。

大正15年、テルと手代の宮本の結婚式が済んだ翌月、・・・西條先生がフランスからお戻りになりなりました。

時を同じくして、金子みすずの作品「大漁」と「おさかな」が日本童謡集に掲載されることになったのです。
当時の一流詩人を会員とした、童謡詩人会の女性会員は、与謝野晶子先生おひとりで、金子みすずが二人目でした。

金子みすずは、東京でも注目を浴び、その豊かなる才能を中央の人たちも待ち望んでいたのです。

そんな、みすずが疎ましくもあったのでしょう。まさすけの心配どおり、みすずの夫・宮本は、テルが詩作をすることに理解は示さず、放蕩の数々をくりかえし、結婚早々離婚の話も出ておりました。

しかし、テルのおなかには、すでに子が宿っており、この夫についてゆく決心をしたのです。

あと半年、あと1ヶ月、西條先生がお早くお帰りになれば・・・すべての時がずれておれば・・・・それは、言わぬことにいたしましょう。」







金子みすゞがのこした命、「ふうちゃん」は、母は自分を捨て自死をえらんだと思っていました。

けれど、自らが娘をうんだとき、母が私を残してくれたから娘がうまれた。

命が繋がった! と、知るのです。


みすゞを生み育てた母・・・・・みすゞ・・・・みすゞが残したいのち「ふうちゃん」

繋がる命は、互いをどれほど大事におもっていたか。

それは、みすゞをとりまく、弟のまさすけさん、西条八十も同じでした。



なにかと、スキャンダラスにものごとを伝えすぎる今、

死者は、何度も殺されるのではないかと思うことがあります。

みすゞの死後、まわりの人たちは、彼女のことを封印します、

それを昔ながらの隠してしまって事をなかったことにしてしまうことだとは思いません。






「死後50年の時を経て、金子みすずの言葉は、それを求める人たちによってよみがえりました。

決して古びず、決して悲しまず、たくさんのことを考えよう、たくさんのことを知ろうという視線は、今も生き続けています」







いのちを考えた 石あかり月あかりライブ 2夜目リポート

この「みすゞのこと いのちのこと」のステージが決まったあと

三好慶子さんは、幻想曲「道」をつくりました。

それは、18歳のときにみた東山魁夷の「道」の、太い一本のまっすぐなみちの向こうに

小さないくつもの道がつらなっているのを見て、

そこに「人生」を感じ、そのときの思いと、今回の「いのち」とが重なり合ってできたのでした





アンコールにかえて、慶子さんの琴で「ふるさと」を歌って、この日のステージは終了。




思いがけないところでみすゞに会えた

と、言っていただき、ほんとに幸せなステージでした。みなさん、ありがとうございました!!







ステージが終わったあと、とても壮快な気分になってました。

ステージ前の、着物を着たとたんに被さってきたしんどさが嘘のようでした。


後で考えると、今日はふたりだけなんだし

わざわざ装飾しなくても、いつもどおりの姿でやってくれていいのよと

みすゞさんが伝えたのかもしれません。






※今日の一枚。野外ステージでのかわいいダンス~




*******************



終わった!!!





倒れておりますのは、50人分のお菓子をつくった、ぴよカフェ「ぴよ旦那」(笑)




ステージそのものは、ほんとによかったのだけど、困ったおじさんひとりの対応に

みんな、精神困憊。

応援してくださっているのは、重々わかっておるのですが、

思い通りにならないと騒ぐのだけは、ご勘弁を!









いやいやご苦労さまでした。








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