2016年11月29日
一葉 読んでみようかね

散歩に行って本屋で探すつもりが、いろいろ検索しているうちに、amazonさまに負けたはな。
日本初のプロの女流小説家と言われる樋口一葉。けれど、一葉が売れる小説を書き出せたのは22才。
24才でなくなっているのだから、私たちが知っている小説は、ほぼこの2年間に書かれたもので、そう考えると短い期間に多作した作家だったのだな。
祖父同士が甲州時代にきめたという一葉の婚約者「渋谷三郎」。
判事や検事や知事までつとめるような男であるのに、一葉を捨て、捨てておきながら、一葉が有名になったら、また求婚て、そりゃ一葉にとっては、今更そんな男と結婚でもなかっただろうに。
三郎は、その後、伯爵令嬢と結婚し坂本家に養子にはいっているが、ま、その方が平和だったわな。
樋口一葉の残した言葉は数あれしきは涙の後の女子心なり」が好きかな。
さて、明日から始まるクリスマスdinner&concertの稽古の準備しよ。
珈琲が終われば、クリスマスですわ。
……
この渋谷さんは、完全に早稲田閥のようですが、当時の大学(つまり東大)の官僚主義に抗すがごとく、次々と出征し、ドイツで3年で法学博士の学位を取るなど、すごい栄達ですね。なんと言いますか、ある種のたたき上げエリートなんで、その分やはりわかりやすいくらい『立身出世』の方なんでしょうね。
しかし、お金は無かったんでしょう。高額な結納金を請求してきてるようです。それが婚約解消の理由と書かれているものもあり、一葉の小説が売れだしてから求婚となれば、あまりいい印象ではないですね。
この時期は、やっとやっと武士になったら明治になってしまい、苦労した方も多いんでしょうね。
たたき上げの分、がめついでしょうね。大隈さんが政権を取ったときは、いい思いをしたり公選知事(戦前の県知事はご存知のように内務省官僚のエリートコースポストでした。つまり国家官僚)をしていたようですが、大隈が政権をひくと退官してますから。分をわきまえてると言いますか、分かりやすいと言いますか。
三郎さんは、慶応三年(つまり維新のちょっと前)生れのようですけど、10代で養子ですからね。
そりゃ大変ですね。賢くても伯爵家に養子にはいったじてんで、おもしろい人生なんかなくなったも一緒でしょうし。
そんな中で、話しは変わりますが、一葉も多作になっているという、時代性もあるのかしらと思ったりしました。彼女は立身出世主義ではないにしろ、生き急ぐ時代と言いますか。
半井と別れたあと、どうやら相場士の愛人になってるようなんです。
一葉の家も極貧を強いられていたようですし、彼女も普通のおんなのひとのように針仕事をしていたようですが、それは彼女の本意ではなく、やはり作家で収入を得たい(立身出世にも通ずる)と思っていたんではないんですかね。
短命ですね。みすゞも一葉も。
全てではないでしょうが、この二人の時代の周りとか彼ら彼女らの生き方を見ていると、「ゆるふあ」で生きてけるだけの豊かさになってそれはそれで有難いなぁと思います。それだけいまはポストがあるってことですもんね。
時間の流れが違ったのかなぁとか、あまり意味のないことを思ったりします。
時代がかわっても、書かずにはおれん業病は、いまだに文学という世界では残っているかもしれませんね。
よきひとであるのは難しい。
一葉は長く生きていれば、晩年の世界とまた違う世界も書いただろうなと思うのです。
みすゞは、ある意味 書ききって旅立ったひとのような気がします。
Posted by るいまま at 00:44│Comments(0)
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