2011年03月28日
選択できるという幸福
さて、昨日、化粧もしてなかったので、こそこそっと出かけたつもりが、
セカンドハンドでみつかり、トキワ街でも目撃されとったようで、ぽんちゃんから電話がはいり
南新町をぶらぶらしてたら、三井さんにみつかって某所に案内され、「夜、細川学が喋るから」と餌をまかれ(笑)
細川学フリークのワタクシは、だらだらと心地よいクラックの誘惑を7時すぎで絶ち、大日本社員食堂に向かったのであります。
南新町にあります「大日本社員食堂」は、どうみても怪しく、恐がりの私は未だに入れてないのですが
その前の棚に並べられている「百姓一揆」の野菜たちは

いとおしく、愛らしく、何度か買ったことがありまして
今時めずらしい量り売りで、まんばを6枚ってな買い方をしたこともあります。
この愛らしい野菜が、豊島からとどいていること。
料理人っていうのは、大根一つで何種類もの料理をつくれて一人前ってこと
皮から葉っぱまで、どこも無駄なく食べてやると思うこと
野菜をつくった人たちの、かけた努力をわかる料理人じゃないと、ほんとに良いものは提供されなくなること
規格規制や、季節外の野菜を安定供給するために、生産者がいかに大変か
そして、人が人として、しっかり生きるためには、「選ぶ目」というのが大事で
それが出来ることが、幸せなのだということ。
と、またまた、細川学語録を聞いて、ええ気持ちになっておったのですが、
昨日は、それ以上に心揺さぶられた、そこに来られていたお嬢さんのはなし。
大日本社員食堂には、牟礼のゆうくんも働いておりまして、ハンディキャップのある人たちが社会にでるまえの
訓練施設としても生かされているのですが
そういう人たちと一緒に働くときも、細川さんは、「むっちゃ厳しいし、怒るし、怖いし」とのこと。
でも、そうした人間対人間のぶつかりから生まれる信頼関係があるわけです。
そんな話のあと、ハンディキャップをもった人たちのことについて
会場にいた電動車いすにのったお嬢さんが
「私たちは、生まれたときから自分で選ぶという道を閉ざされています」
と、話し始めたのです。
彼女は、商店街でもよくお見かけします。体にハンディキャップを持っていますが
いつも、おしゃれで、昨日もえんじ色のマント状のコートを着ていました。
「私たちは、親がいるときは、こういう施設。親が亡くなれば、ここ。と、決められた暮らしをしていて
自ら選ぶという道はありません。
でも、私たちも、社会のために役にたちたいという思いはあるのです」
彼女は、自分たちが社会にでるための様々な提案をしてくれ、
私たちは、弱者を守らなくてはいけないという一方的な善意の目がいかに甘いか
つきつけられたのであります。
私たちは、地震と原発問題 また、放射能汚染などについて、
これから、様々な選択をしていかなければなりません。
もう、それを面倒なことと人任せにするのではなく、「そっちで決めといて」ということなく、
自分のこととしてひとつひとつシビアに選択していかねばならないし
選択できるということが、いかに幸福なことであるかを、考えないといけないのです。
セカンドハンドでみつかり、トキワ街でも目撃されとったようで、ぽんちゃんから電話がはいり
南新町をぶらぶらしてたら、三井さんにみつかって某所に案内され、「夜、細川学が喋るから」と餌をまかれ(笑)
細川学フリークのワタクシは、だらだらと心地よいクラックの誘惑を7時すぎで絶ち、大日本社員食堂に向かったのであります。
南新町にあります「大日本社員食堂」は、どうみても怪しく、恐がりの私は未だに入れてないのですが
その前の棚に並べられている「百姓一揆」の野菜たちは

いとおしく、愛らしく、何度か買ったことがありまして
今時めずらしい量り売りで、まんばを6枚ってな買い方をしたこともあります。
この愛らしい野菜が、豊島からとどいていること。
料理人っていうのは、大根一つで何種類もの料理をつくれて一人前ってこと
皮から葉っぱまで、どこも無駄なく食べてやると思うこと
野菜をつくった人たちの、かけた努力をわかる料理人じゃないと、ほんとに良いものは提供されなくなること
規格規制や、季節外の野菜を安定供給するために、生産者がいかに大変か
そして、人が人として、しっかり生きるためには、「選ぶ目」というのが大事で
それが出来ることが、幸せなのだということ。
と、またまた、細川学語録を聞いて、ええ気持ちになっておったのですが、
昨日は、それ以上に心揺さぶられた、そこに来られていたお嬢さんのはなし。
大日本社員食堂には、牟礼のゆうくんも働いておりまして、ハンディキャップのある人たちが社会にでるまえの
訓練施設としても生かされているのですが
そういう人たちと一緒に働くときも、細川さんは、「むっちゃ厳しいし、怒るし、怖いし」とのこと。
でも、そうした人間対人間のぶつかりから生まれる信頼関係があるわけです。
そんな話のあと、ハンディキャップをもった人たちのことについて
会場にいた電動車いすにのったお嬢さんが
「私たちは、生まれたときから自分で選ぶという道を閉ざされています」
と、話し始めたのです。
彼女は、商店街でもよくお見かけします。体にハンディキャップを持っていますが
いつも、おしゃれで、昨日もえんじ色のマント状のコートを着ていました。
「私たちは、親がいるときは、こういう施設。親が亡くなれば、ここ。と、決められた暮らしをしていて
自ら選ぶという道はありません。
でも、私たちも、社会のために役にたちたいという思いはあるのです」
彼女は、自分たちが社会にでるための様々な提案をしてくれ、
私たちは、弱者を守らなくてはいけないという一方的な善意の目がいかに甘いか
つきつけられたのであります。
私たちは、地震と原発問題 また、放射能汚染などについて、
これから、様々な選択をしていかなければなりません。
もう、それを面倒なことと人任せにするのではなく、「そっちで決めといて」ということなく、
自分のこととしてひとつひとつシビアに選択していかねばならないし
選択できるということが、いかに幸福なことであるかを、考えないといけないのです。
Posted by るいまま at 19:08│Comments(0)
│■るいまま
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