2012年06月18日
故あって 竹取物語をざっくり解説(笑)
竹取物語に石造皇子がおるやろ~と、デザイナーのまこっちゃんから電話があって
うっすらと、かぐや姫に求婚する何人かのなかにおったような気がしながら話をきいておりましたが
求婚したひとたちは、結構、かぐや姫にエライ目にあわされているので
石造皇子も、そうそう幸せではなかったんじゃないかなとおもっておりましたら
やはり・・・・・(笑)
とはいえ、石造皇子は、身分の高い機転のきく賢い人であったことは間違いありません。
では、ざくっと「竹取物語」。
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かぐや姫の本名は、嫋竹の赫映姫。
ご存じのように、光り輝く竹の中にいた3寸ばかりの女の子を、讃岐の造麻呂と奥方が育て
それはそれは美しい娘に成長いたします。
なんとか、彼女を自分のものにしようと、たくさんの人たちがあれやこれやの手を尽くすのに
彼女をみることすらできない人気ぶり。
70も過ぎた讃岐の造麻呂は、
「たいがい身分の高いひとばっかりが声をかけてくれてるのに、断ってばかりじゃなんだ。
私ももう先は長くない、元気なうちに婿をめとり、安心させて欲しい」と言い
かぐや姫は渋々承知するのですが、
「私への思いがどれほど深いかをみせてくれた人じゃないと結婚はいやです。
五人の方々に私の欲しいと思うものを注文するので、それを間違いなく持ってきてくださった方と
結婚します」
と、まぁまぁ高飛車なお返事をします。
彼女に結婚を申し込んだ身分の高い人たちは、
石造(いしづくり)皇子、
車持(くらもちの)皇子)、
右大臣阿倍御主人(あべのみうし)、
大納言大伴御行(おおとものみゆき)、
中納言石上麻呂(いそのかみのまろ)
かぐや姫が彼らにだした注文の品は
石造皇子には、天竺にある佛の御石の鉢、
車持皇子には、東海の蓬莱山にある銀の根、金の莖、白玉の實をもつた木の枝一本、
阿倍右大臣には、唐土にある火鼠の皮衣、
大伴大納言には、龍の首についてゐる五色の玉、
石上中納言には、燕のもっている子安貝。
天竺いけの、唐土いけの、山に登れの、龍のもってるんやら燕のもっているんやらと
これまた、大変なものをいうんですが、
どの方も、かぐや姫のいうことならばと承知します。
で、まこっちゃんの言った、石造皇子でありますが、
石造皇子は、5人の中でも、機転はきくけど、ちょいずる賢い人で、
姫に言われた佛の御石(ほとけのみいし)の鉢を取りに天竺へ行ったようにみせかけて、
3年ばかりたつてから、大和の國のある山寺の賓頭廬樣(びんづるさま)の前に置いてある
石の鉢の眞黒に煤けたのを、もったぶって錦の袋に入いれ、姫にさし出しました。
ところが、立派な光あるはずの鉢が、螢火ほどの光もなく、
かぐや姫に「これは違います!」と、はねつけられてしまうのです。
蓬莱山の木の枝を頼まれた車持皇子は、取りに行ったふりをして職人につくらせたのがばれて
「まやかし!」といわれちゃうし
火鼠の唐衣を注文された阿部右大臣は、お金持ちだったので
その年、日本に来た唐船の商人にあつらえて買ってくるようにいって
これはなかなかできがよかったので、さすがの姫もだまされかかりましたが、
火にいれると跡形もなくなるニセモノ。
大伴大納言に至っては、家来に龍の首の玉をとってくるように、家中の宝をわたしたのに、
この家来たちが、いっこも仕事せんばかりか、主人のことを馬鹿にするありさま。
結局、自分で取りに行ったものの、龍にやられ雷雨にやられ、波風にもまれ
死にかかったところを、国の役人にみつけてもらって九死に一生を得たのですが、
なんにもしない家来のお見舞いの言葉に、ういやつよと言うお人好し。
燕の巣の子安貝を採りにいった石上中納言は、苦労の末、採ったつもりが燕の糞であったという悲しさ。
かぐや姫ひとりに、やいのやいのの大騒動です。
そんなこんなの騒動を聞きつけた「帝」が、女官に「見てまいれ」と命じます。
ここでも、かぐや姫の対応は、結構高飛車(笑)
「別に、私は器量よしでもありませぬから、お使いの方に逢うのは御免こうむりますわ」
と、すねてしまい
それを聞いた帝が、讃岐の造麻呂に「おまえから、ちゃんと言え」と命じ、おじいさんが伝えると
「むりに宮仕えをしろとおっしゃるなら、私は消えてしまいます。
おじいさんは、帝からいくらもらうのかみて、私は死ぬだけです」
おじいさんとしても、上からはやいのやいの言われ、娘からはきつくいわれ、かわいそうな展開。
帝は、いくらこの世のものとも思えぬ美しい娘とはいえ、この生意気な対応に
「逃げても許さぬ。宮中に連れ行くぞ」
「私がこの国のものなら、宮仕いをしないでもありませんが
そうではありませんから、お連れになることはかないません!」
「いや、そんなはずはない。どうあっても連れていく!」
と、帝が無理矢理姫を輿にのせようとすると、姫の形は消えてしまい
これはただならぬことだと、
「わかった、わかった。それではもう連れてはいかないから。せめて元の形になっておくれ。
それを見たら帰るからさ」
このあたりのやりとりを読むと、かぐや姫って、男女の駆け引きをちゃんと知った女だなと思いますね(笑)。
それから3年、かぐや姫もおじいさんおばあさんと慣れ親しみ、ここの暮らしを捨てがたくなっていましたが
実は、自分は月からきたことを告白し、八月の十五夜の日に月から迎えがくると涙ながらに話し、
かぐや姫への思いが深くなっているおじいさんとおばあさんは、月には返さない!と泣き叫ぶのでした。
どうしてもかぐや姫を月に返したくないおじいさんは、家を何重にも格子や土蔵で囲み、
帝に頼み、何千の兵をだしてもらって、月からの迎えの使者を封じようとします。
がしかし、月の使者ときたら
「讃岐の造麻呂よ、おまえは姫を助け、ちょっとばかり良いことをしたから、しばらく姫を下し、
たくさんの黄金が儲かるようにしてやった。
生みの親も忘れてしまっていた姫の罪もきえたので、早くかえすがよい」
と、ひどいことを言い、おじいさんが、姫を渡すのを渋ると、
「さぁさぁ姫、こんなきたないところにいるものではありません」
と、これまた容赦のない言葉。
月の使者にかかると、どんなに固く閉ざした格子も土蔵も自然とあき、
姫はするするとでていってしまい、とめようとあがくおじいさんの手をとめ、形見の文を渡し、
帝にさし上げる別の手紙に、月の人々の持つてきた不死の藥を一壺添へて勅使に渡して、
天の羽衣を着て、月からの迎えの車のって、百人ばかりの天人と空高く昇って行きました。
これを見送ったおじいさん夫婦は、また一しきり声をあげて泣きましたが、
姫はもう帰ってはきませんでした。
この姫が帝に渡すようにいった「不死の薬」がキーです。
勅使が宮中に參上して、その夜の一部始終をはなして、手紙と藥を帝にさし上げると、
帝は、天に一番近い山は駿河の國にあると聞き召して(手紙に書いてあったんでしょね)、
使いの役人をその山に登らせて、そこで不死の藥を焚かしめられました。
それから、この山を「不死の山」(富士山)と呼ぶようになって、
その藥の煙りは今でも雲の中へ立ち昇るといふことであります。
富士山は、こうして生まれたのですな。
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竹取物語は、日本最古の物語といわれており
かぐや姫を育てたおじいさんが「讃岐の造麻呂」というとおり、
香川県長尾町には、かぐや姫に関する伝説が残っています。
もちろん広島、奈良にも伝説は残っていますが、
竹取の翁「讃岐造麻呂」と、讃岐忌部氏との関係があるといわれており、
「竹取翁の名前が讃岐造、かぐや姫と名付けたのが三室戸斎部秋田(みむろとのいんべのあきた)
とあることと、
香川県さぬき市長尾町に鎮座する多和神社の祭神が讃岐忌部氏の祖神・手置帆負命であり、
同町の古くからの特産品が竹であることから、竹取物語との関係を指摘する声がある」
と、wikiには書かれています。
Posted by るいまま at 19:02│Comments(0)
│竹取物語
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