2021年05月16日
薫風自南来 で爽やかな風を。
【薫風自南来】
やはり 薫風は掛けましょう。
早くから梅雨入りしてジメジメしたときこそ薫風だな。いま掛けないと、また一年会えないからさ(笑)

■臨済宗 禅語としての意味
私たちは何かというと得失にこだわり、利害にとらわれ、愛憎にかたより、善悪にこだわり、迷悟めいごにとらわれ、凡聖(ぼんしょう)にかたよって、右往左往する毎日です。しかし、それらの対立的観念を一陣の薫風によって吹き払ってしまえば、こだわりもなく、とらわれもなく、かたよりもない、自由自在なサッパリとした清々しい涼味(りょうみ)を感じることができます。そのカラッとした、一切の垢[あか]の抜け切った無心の境涯きょうがいを「殿閣微涼を生ず」と詠うたったのです。
【展示用スペース】
漆芸家の北山圭一 さんが、5/22の漆茶碗茶会に向かい、いろいろ挑戦的な作品を作っているので、茶室る庵の茶碗棚を片付け、展示できるスペースを作ってみた。

今回は時間が窮屈なので、ゆっくり観るのは難しいかもしれませんが、また、密にならないようなときに見に来てくださいな。
こつこつ作られた作品は、来年の個展で花開きます。そちらもお楽しみに。
2021年05月16日
入院は患者の治療のためだけじゃなく
【家族】
月に一度の五色台。狂人70(兄)をここに運んで何年経つだろう。

兄は、相変わらず宇宙人ですがおだやかです。
担当の方も、腕っぷしの良さそうなひとになったり、フレッシュなひとになったりしながら、いまはお母さんのような面倒見のよい女性(もちろん兄より年下)。
あの頃の我が家は、ほんとにギリギリのところにあり、でも母と兄の65年にわたる強靭なへその緒は簡単には切れず、
どちらかが亡くなるまで、こんな地獄は続くのかと思った日もありましたが、ここ数年で家族はようやく落ち着きました。
病院の支払いを済ませていると、たぶん入院手続きを終えたであろう、どこかのご家族が深々と頭を下げて「ありがとうございます。よろしくおねがいします」と言われる姿がかいま見え、良かったなと思いました。
どんな病でも、本人はもちろん、看るひとも大変。長くなれば長くなるほど、もう愛情だけでは耐えられなくなるものもあり、
特に精神病は優しいひとほど患者に引っ張られてしまい不幸をまねきます。
入院は、治療や生活の改善のためでもあるが、まずは、看るかたも一息つき、冷静にいろんなことを考える時間でもあるのです。
さて、帰ろう。
■西垣さん
ぼくたちの世界は皆が境目の塀の上を歩いている感じなので、他人事ではないですね。シューマン、ラヴェル、ヴォルフ、ロダンのところにいたカミーユ・クローデル・・シューマンが発症したときに子どもたちに書いた手紙「あなたがたの父上は亡くなりました」は悲しかった。ぼくは幸い天才ではないから、長生きも芸のうち、、乗り越えていかねば。
■るいまま
私の周りは、兄ほどではなくても生きにくいひとは多く、悲しい終わりを迎えた子もいます。
たぶん、もっとシビアに芸術の世界に生きる西垣さんの周りにも多いでしょう。
ただ、だからこそ表現はできるのだと思っていて、生きづらいひとたちを尊びたいと思うのです。
兄は、家族ゆえに、私にいいようにネタにされてばかりですが、私の中には自身もまた同じような世界にいて、引っ張られやすいことの自覚もあります。
長生きは芸のうち。ほんとにそうです。
2021年05月16日
映画「愛がなんだ」鑑賞記録【好きなひと 好かれるひと】
5/16 goodmorning
遅ればせながら、映画「愛がなんだ」を観る。

コロナ前年の2019年、胸キュンがどうした!てな女子が男子を連れてつめかけた、角田光代原作の映画。配給がアップリンク。
これは、岸井ゆきのをテルコに置いたことが勝因だな。
映画について、詳しくはまた書くとして、最後に阪急ホールでみた舞台(2019年12月29日)「月の獣」の岸井ゆきのも抜群だったな。
芝居と美術館めぐりで果てなく歩き回る県外さんぽ、いつになったら再開できるのやら!
てなわけで、朝の珈琲。このあと月に一度の五色台。

映画「愛がなんだ」鑑賞記録
【好きなひと 好かれるひと】
映画「愛がなんだ」は、あまりにぬるぬるした若者の感情が少しも理解できないというひとと、これこれ!これを待っていたというひとのふたつに分かれる。
守とテルコは、とある結婚披露宴の二次会で知り合う。
新郎新婦の友人というか、友人の友人くらいの位置にあるもの同士意気投合し、連絡先を交換し、
守から電話がかかるとテルコはなにをさしおいても出かけ、お喋りしたり飲んだりし、終電にのりおくれれば互いのアパートに泊まってそれなりのことはある。
でも、恋人ではない。
では、テルコが仕事も手につかぬほど焦がれる男 守がだれがみても羨むような男かと言えば、
貧相で猫背のヒョロヒョロした特になんというとりえもない男。
守は、すみれというがさつな年上の女に焦がれていて、すみれがテルコと一緒なら会ってもいいと言えば、テルコの感情などお構いなしにテルコを呼び出す。
では、守がすごくクズかと言えば、普通に働く普通の男で、つまりは、誰も悪人はいないのだが、
みんなが「自分」という囲いからでないまま生きたいと(意識的か無意識かわからないが)動いているので、
相手には重苦しくなったり、薄情になったり、残酷になったりする。
まぁまぁ恋愛なんて、昔からそんなものよと言えばそれまでだが、
結局のところ、テルコ自身、なぜここまで守に執着するのかわからないまま、仕事を転々とし、
子どもの頃の自分と話したり、守に言えば簡単にこんがらがった糸は解けそうな言葉を親友にぶつけたりしながら時は流れる。
最近の、結婚も恋愛もしない男女の関係がさっぱりわからんという方は、これを観てますますわからんと迷っていただき、
ぬめぬめした相手との関係に飽き飽きしてるひとは、これがあんただよ!と言い放っていただき、
特に波風なく過ごしたいひとは「そらゃ、ま、そうだよね」と笑いながら鑑賞後茶話会でも。
言えることは、映画をみて盛り上がり、なにか間違いは、たぶん起こらないと思います(笑)だけ。
いやぁ、ほんとに面白かった!
成田凌も岸井ゆきのも、上手いなぁ。