2021年12月02日
有楽斎の茶室 如庵のこと
【有楽斎の如庵のこと】
国宝とされる茶室は3つ。京都山崎妙喜庵の「待庵」(利休)、大徳寺龍光院の「密庵」(遠州)、
そしてかつては京都建仁寺正伝院あり、現在は犬山市・有楽苑にある「如庵」。

「如庵」は、元和4年(1618年)織田信長の弟・織田有楽斎(うらくさい)によって、京都・建仁寺の塔頭・正伝院が再興された際に建造された茶室。
以後200余年建仁寺にあったが、明治6年(1873年)京都府が休眠産業所建設のため、正伝院の土地を府に引き渡すことを命じ、それにともない「如庵」は売却対象になる。
永源庵跡地に移転し祇園町の有志に払い下げ、しばらくは保存公開されていたが、維持運営困難のため、再び売却。
明治41年(1908年)に東京の三井本邸に移築された。この際、解体せず原型のまま車両に積んで東海道を東京まで運搬したのは、京都の数寄屋大工平井家4代竹次郎。
wikiには、三井の重役であり茶人でもあるの益田孝(益田鈍翁)がこれを愛用したとあるが、
三井広報室によれば「それから20年間茶会が行われることはなかった。三井高棟は三井の総領として全事業を統括する立場にあったので、茶事風流等を極力控えていたからである」とある。
昭和11年(1936年)に重要文化財(旧国宝)に指定され、昭和13年(1938年)に、三井高棟によって神奈川県中郡大磯の別荘「城山荘」に移築。
これにより、如庵は東京大空襲から逃れられる。
敗戦後の財閥解体などにより、昭和45年(1970年)「城山荘」および「如庵」の所有者がかわり、昭和47年(1972年)、名古屋鉄道によって堀口捨己の指揮の下で移築され、
現在は名鉄犬山ホテルの日本庭園「有楽苑」にある。
国宝茶室「如庵」であっても、時代に翻弄されて、何度も売却、移設の浮き目にあっていること。
それによって消失を免れたことなど、有楽斎の如庵についてちょっと調べるだけが、またこんな時間。4時4分。
この動画は中国のものらしいけれど、わかりやすく編集されているのでシェア。
https://m.youtube.com/watch?v=aeWphY1BKZo&feature=share
ここで解説している、博物館「明治村」の建築部長だった西尾雅俊さんが利休が有楽斎に伝えた考えを語っている。
「茶道は自分の芸術的、文化的な考えにしたがって自由に作って良いんだよ」
■有楽苑 茶室如庵 web
https://inuyama.gr.jp/garden-uraku.html
■三井広報委員会 「如庵」
https://www.mitsuipr.com/history/columns/026
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