2024年11月08日
売茶翁か方丈記か
【売茶翁か方丈記か】
資料読みにはいり、3月までには書き上げ、配役や音楽班を組み、公演日を調整して決めたら、稽古にはいるというのが冬のルーティン。
ひさびさに鴨長明の「#方丈記」を読んでいたんだが、なんか長明の情けなさばかりが気になる。昔、読んだときは、こんな風に思ったかな。
火事も地震も竜巻も大変ではあるし、京の都が無くなってしまうかもしれない一大事だが、長明は、都でも特別な力をもった下鴨神社の正禰宜の息子。
自身は、それを嫌い、無情なる都会の暮らしにも限界をかんじ、自由に生きようといきがってるが、市井のひとたちよりはかなり恵まれている。
そして、まぁまぁ中途半端(笑)
当時の都の災害状況を克明に記す文学としては、確かに大変貴重だし、ぼやきも面白いが、なんか長明が好きになれないのも、この中途半端なぼんぼん気質のせいかしらね。
祖母から受け継いだ土地に、生まれた家の1/10くらいの小さな方丈を建て暮らすことになったが、文句ばっかり。この頃の京都は災害続きで、暮らす家さえなくなったひとが多いのに、なにいってんだよ!
もとより結婚さえしておらず、子もおらず、身軽な身分ゆえ、また草庵を建て引っ越す。
でも、街に住めば文句が多く、田舎に住めば寂しがり、そんな人間臭さに人気があるんだろうけど、「ああ、もう面倒くさい男だよ!」と言ってたひとはいるはず(笑)
そんな方丈記は、一旦横に置き、朝から #高遊外売茶翁 の資料集め。
先ほどざっくり書いたとき、売茶翁を廃業したあと道具を全て焼き捨てたエピソードを拾ったけれど、
すべての道具を焼き捨てたのではなく、ほんとに心許せる人には道具をゆずっている。
自分が亡くなったあと、自分の意に沿わないもてはやし方をされて道具が高値になってしまうのは阻止したという話なんだろうな。
「聖護院村に居を移した翌年の1755年、数え年で81才の時、売茶翁は愛用の茶道具を焼き払い、約20年に渡る売茶生活に終止符を打ちます。幾つかの茶道具は、親しい友人へ受け継がれました。売茶翁の形見として木村蒹葭堂は瓢杓を、池大雅は愛用の「寄興鑵」(きこうかん※)を贈られています。」
売茶翁が使っていたもの、着ていたものの画像も集めていると、頭の中でいろいろ動き出した。
売茶翁が着ているのは、鶴氅衣 「鶴氅衣(かくしょうえ・かくしょうい)」。中国風の上衣で、白地に黒い縁取りで、鶴の羽根をかたどったように袖が丸くなっている。売茶翁が修行した黄檗宗では、宗門衣・茶会用・道中衣に用いられる。
【四国高松るいままyoutube】
http://ruimama.ashita-sanuki.jp/e1202617.html
【髙松まちかど漫遊帖】
まちかど漫遊帖オフィシャル 漫遊帖2023春コースリスト
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