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2009年08月03日

津軽三味線 浅野祥

8月23日にトリートホールである津軽三味線の「浅野祥」くんのライブで、

るいまま&浅野祥のトークショーをとのお話になりまして、浅野くんに関してほとんど無知な私のために

浅野くんのマネージャーさんからDVDがたくさん送られてきまして、昼から、ずっと見続けておりますが


津軽三味線 浅野祥


見れば見るほど、最初にもっていた

津軽三味線全国大会で三連覇し殿堂入りした17才の津軽三味線奏者。

細面の女の子のような容姿をもつアイドル。

という、イメージは、捨てなくてはな
と思ったのでした。



彼が三味線を始めたのは5才のとき、民謡の師匠であるおじいちゃん(穣さん)の手ほどきでした。

練習がいやで、三味線の絃きったりする祥くんに、おじいちゃんは

稽古は、一日5分でいいから」と導いていきます。

やがて8才で史上最年少の日本一をとり、あとはランクを上げながら全国連覇を重ね、

2007年A級の三連覇を果たし殿堂入りするのでした。




津軽三味線界のスターである吉田兄弟が、

少年浅野祥をみて、同じ年齢のころの自分たちは、ただ弾くと言う感じであったが、

浅野くんは、そのころから、すでに基本がものすごくしっかりしていたと言い、

基礎のないところに、テクニックはない」と、繰り返しています。




津軽三味線は、感性とテクニックが問われるもので、JAZZのように奏法を組み合わせて

どれだけ即興で演奏できるかが大事とのこと。

だから、単に感性だけでも、テクニックだけでも成り立たないのです。



浅野祥くんの育った環境は、おじいちゃんが民謡の先生という土壌はあったものの

祖父の穣さんは、幼い彼に強いることよりも

「5分でいいから」と続けることの大事さを教えています。

芸事はやめてしまえば、そこで止まる。それまでの努力も、そこで途絶える。

早くに頭角を現した子こそ、持続させるのは難しいというのは、子ども落語塾をはじめたとき

師匠から聞いた言葉です。




だから、穣さんが民謡の師匠であったからというよりも、穣さんの人柄が彼を育んだはずで、

穣さんが亡くなったあとは、三味線は全く弾けない普通のサラリーマンのお父さんが

しっかりと精神面のサポートをしていて、

そうした環境が「心」をそだてたのだろうなと思い、

結局は、人は人が育てるのであって、人なきところに「心も技術も備わった天才」は育たないような気もします。




それには、本人の気質というのも絶対あるはずで

テレビ番組の中では、美しく清らかな高音を得意とする浅野祥のイメージをクローズアップするために

大きな挫折や、血のにじむような努力というのは消し去っていましたが、それが全くない人間などおらず、

挫折のとき、荒れたとき、救われる言葉があるかないか

それを自らキャッチできるかどうかで、その先々は変わってゆくはずです。



津軽三味線 浅野祥

穣さんは、亡くなるまえ、祥くんに、必ずプロになるように言っていますが、

お客さんに感動してもらい、もう一回聴きたいと思う三味線を弾いてくれ

と、言い残しています。

見た目のとおり、男っぽいというイメージとは遠く

父・俊さんは、「三味線を弾いていないときは、むしろ普通の18才よりも幼いかも知れない」と語りますが、

お母さんが話す、「決めたことを貫く力は、親でも勝てない」が、浅野祥を作り上げたのでしょう。




浅野祥くんが所属する、小田島流の師匠が

浅野祥は「自分の気持ちを三味線を借りて表現する」奏者というとおり

現代風外見だけで理解してはいけない、内証の部分を彼の演奏の中に見られるようになれば

浅野祥が、もっともっと理解できるのかもしれません。


津軽三味線 浅野祥



■いみじくも夕べ、カワイさんやminoさんと、プロ・アマについて話していて

JAZZの山下洋輔が「アマだってすごいフレーズは演奏できる、でも、それは10秒なんだ」といったそうで、

小説の世界も、人間は一生に1本すごい小説を書けるくらいのストーリーはみんなもっている。でも、

同じレベルで書き続けられるかどうかが、プロとアマのちがい


と、私も教えられたことがあると話していて

どんな世界でも、プロになるには、瞬発的な10秒力を発揮できることよりも、

もっと地道がものが必要だと話したところでした。




■「浅野祥を評価するのは、もはや審査員ではない

吉田兄弟のこの言葉は、これからプロの道に旅立つ後輩へのエールであると、私は思います。






*****************

津軽三味線 浅野祥

こちら、祥くんが民謡の唄を習いにいった先生。えらい男前で(w

おじいちゃんの唄をきいて育った祥くんは、みずから唄を学ぶことで、リズム感や間合いを確かめるそうです。


memo>>

津軽じょんから節は、明治のはじめ頃、「おさまさん」と言われる盲目の三味線弾きのひとたちが

即興で唄と三味線を披露してまわったもので

そこには厳しい自然のなかで暮らすひとたちの魂の声があった。

つまり「自分だけのじょんから節」だ。


これって、やっぱり、サルサの原点ソンや、フラメンコのカンテに似てますねぇ。

音楽の原点は、ここにあるんだろうな。
















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