< 2024年04月 >
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
アクセスカウンタ


漫遊帖top  2024春コースリスト  アンケート  ガイド関連web
 

2024年04月28日

本日4/28 東谷農村歌舞伎祇園座公演



4/28 goodmorning

晴れたね!
#東谷農村歌舞伎祇園座公演 日和。

昨日、佐藤さんの会で一緒だった学芸員の佐々木くんが #日本駄右衛門 で出演! 是非、お見届けを。

祇園座は、#御所桜堀川夜討 辨慶上使の場。

祇園座のある平尾八幡神社には、地域のみなさんのバザーもでて賑わいます。去年は、嘘みたいなお値段の筍買いました(笑)

10:00〜14:30

川東小学校、JA香川川東、東谷コミュニティセンターの臨時駐車場から送迎バスが出ております。







  

2024年04月27日

佐藤竜馬著「まちかどの考古学」出版記念会




【まちかどの考古学】

佐藤隊長の「まちかどの考古学」出版を記念して、ヒトクセフタクセあるメンバーとの食事会。




佐藤さんとの出会いは、#高松まちかど漫遊帖 を立ち上げて3年目。

#香川県観光交流局 から、既存の観光だけじゃないまち歩きを構築するために、歴史の専門家を担当にいたしましたと紹介されたのがはじまり。

当初、漫遊帖は香川県の意向で、高松松平藩という少々窮屈な冠がついていたので、松平や生駒時代の専門家かと思えば、埋蔵文化財センターからということで、あまりに異色な人事にびっくりしたのだが、

佐藤さん自身は、まち歩きという枠ではなく、自分の研究の流れのままフラットに まち歩きに加わってきてくれたというのが私の印象。

佐藤さんの動きは、まさに漫遊帖が目指す「まち歩き」の形だった。

佐藤さんの動きとは、

「考古学の可能性を、実践を通じて考えること。それは、外に出て地域を歩いて周囲を見渡し、対象の検討を通じて考えることから始まる。
所与の管理された空間(研究室、発掘現場、埋蔵文化財センター、博物館)から、自らの意志と足で踏み出すことである」

まち歩き先行地だった 高松まちかど漫遊帖のプロデューサーとして、他の市町村のまち歩き構築のお手伝いにまわったりはしたけれど、まだまだ黎明期。

高松のことに精一杯で、今日、集まったみなさんのように、佐藤さんの考古学からフラットにひろがった動きに参加できていないのだが、
佐藤さんがまち歩きに関わりだした年、冠が取れ自由に動きまわれるようになった漫遊帖で、佐藤さんは自らガイドとなり、のびやかなる発想で数々の名物コースを構築していってくれた。

「観光」の固定概念を打ち破り、何をどうおもしろがるかは、考古学の囲いの中では納まりきらない佐藤さんは適任で、多度津や宇多津は特にたくさんの扉が開かれたはず。

観光ガイドは無料ボランティアあたりまえ、誰か(市や県やるいまま)に言われたから動くという時代。あんたのためにしてやってるのに!と言われたことは何度もある。たぶん、佐藤さんだって似たような経験はあるはず。


がしかし、ものごとは、#自らの意志と足で踏み出す だけで、何倍も楽しくなる。

この本を、佐藤さんは後輩たちに読んで欲しいと思っているとはなしているらしい。これと同じことをせよではなく、自らの意志と足で踏み出してみよとのこと。

まるで、千利休だねと思ったが、このヒトクセフタクセあるひとたちには釈迦に説法ですな(笑)



佐藤さんの奥様 序文をかいてくださった彫刻家の大西康彦さん 佐藤さん


佐藤さん同様枠にはいりきらない 今瀧さん


菊池先生 多度津の泉川くん


佐藤さんの奥様 るみちゃん。るみちゃんなくして竜馬なし(笑)


宇多津の語り部 藤岡さん


佐藤さんの後輩たち、大西先生 今瀧さんから 話を聞くの図


本日の会場は宇多津ちいおり、お料理は料亭公楽。




  

2024年04月27日

小堀ジョージ裕之、最高



数ある 斉藤和義の「ずっと好きだった」のMVのなかで最も好きなやつ。


https://youtu.be/PG8xpE7Fl-I?si=4aWE4EmS9nhDQijC




小堀ジョージ裕之、最高(笑)。



この間たまたま観た芝居の劇場前で小堀さんに会ったけど、あのくらい彫りが深いから似るんだな。

せっちゃんほかは完全に日本人に見えるのでムリあり(笑)


  

2024年04月27日

る庵は正統派(笑)



【庵】
4/27 goodmorning

#チャイ を淹れる。鍋で水から煮出し、出来上がったらカップを2つ準備して移しあうことで空気を含んで美味しくなるとあったので、やってみた。



なるほどね。丸くなって美味しい…ような気がする(笑)



さて、今朝は 茶人たちの日本文化史「点前の確立」。

古来の点前は、建仁寺の #四頭茶会 のように客に天目茶碗を持たせて茶を点てていたし、#足利将軍 の頃の茶は、点前が重要視されていなかったので、別室で点て運んでいたのは知っていたが、

そののち #村田珠光 によって点前ができてくるあたりを読む。

あ、先に一言、まだ茶室と呼ばれるものが確立していなかった頃、大都市 京都にたくさんできた「庵」は茶の会もするが遊興の場。連歌の会と一緒に茶をのんだり食事をしたり多様な空間。

だから、茶室る庵の「庵」は正統と言いたい(笑)

詳しくはのちほど



  

2024年04月27日

柴田くんと たかすの杜


【柴田くん】

フランスから、#フラウトトラヴェルソ奏者 の #柴田俊幸 くんが帰ってきたので、#たかすの杜 で、#オガタマノキ の香りがする庭を見ながら話をする。








だんだん おとなの顔になってきたなと言ったら怒るかもしれんが、今年37歳、会うたびにしっかりしてる。

8回目を迎えるたかまつ国際古楽祭は、今年もヨーロッパから音楽家がたくさん来てくれるらしい。楽しみね。

演奏家としては順調で、高松には48時間滞在で、すぐ東京に仕事のために飛んだんだが、

ただいまの彼の重要案件は、ベルギーからフランスに移住してから暴れだした石。30代男子にはよくあるらしいが、私の50肩同様、ずっと痛いってのは辛いね。



お互い、痛みの時期が抜けるまで頑張ろうな。





写真の花は、#オガタマノキ。

オガタマノキは「招霊」(おぎたま)から転化したものといわれる。
幸運をもたらす精霊が宿るとされる大変縁起の良い樹木で、毎年5月頃に、可憐で香り高い花を咲かせる。天に向かって真っすぐに枝を伸ばす様子が、精霊を呼ぶと考えられ、古来より大切にされてきた。
天照大神が天岩戸に隠れてしまった際、天鈿女命がオガタマノキの枝を手にして天岩戸の前で舞った。



  

2024年04月27日

すべては闇の中



【すべては闇の中】

ずっと書き直そうと思っていた、音楽と言葉「#るいまま版建礼門院徳子」の曖昧な部分を洗い出し作業。

平安末期、清盛が生まれなくては武士の世は来なかったというのは本当だとおもうが、

清盛が帝のご落胤であるのか、清盛が頼朝や義経を殺さなかったから安徳帝は海にしずんだのか、いや、安徳帝は生き延び四国の山中をさまよったのか…解釈は様々。

すべては策略のなかで塗替えられたんだろうな。

源氏だって平家だって、もとは天皇家に繋がるひとたち。降下して武士になり、互いに潰し合う。

自分たちの意志なのか、見えぬなにかに動かされてか、もはや、真実は闇の中。

とりあえず、よく眠れるというクリーム塗って寝る準備。






  

2024年04月26日

怪力婆さん



【怪力婆さん】

月末のケアマネージャーさんとの 老人93(母)の面会日。

15日に行ったときにはご機嫌さんだったのだが、本日は言いたいことだらけ。

細々したことはややこしいので省くが、母が部屋にあった箪笥を動かして模様替えしてしまい、こりゃ危ないと、衣装入れが小さなプラケースになって服がしまいずらくなったことが発端。

なぜそうなるに至ったか、自分が正しいかをギャンギャン訴えるので、

「なんでひとりで箪笥をうごかしたんよ? 箪笥を勝手に動かすような怪力婆さん、危なくて、私でも嫌じゃわ」

軽い箪笥だったの、床がよく滑るから簡単だったの、箪笥が間仕切りになって外から見えないから心おちつくのと、やや得意げに、正論をかましたつもりだったようだが、

「それって、ママが部屋のドアを閉めたら解決するんじゃないの? 」

ほかのお部屋は、みんな障子形の和風ドアをしめてるのに、母だけ開け放していろいろ吊りたがる間仕切り癖があるのは、母屋の掃除をしててもよくわかる。

結局、箪笥は、また動かして骨折でもしたら危ないってことで、大きめのプラ箪笥を持ち込むことになった。物入りだわ!

兄のことを、常識しらずで、自分本意な、手間ばかり増やす子と母はいうけど、あなたそっくりやで。と、私は言いたい!

怪力は昔から。

思春期の頃、母の干渉が嫌で部屋に鍵をつけたら、ドアごとはずす勢いで鍵を壊して入ってきたので、あぁ、私はこの人には勝てないなぁと思ったことがある。

母屋にある父のステレオのスピーカーが2段に重ねられているので、先日定位置に下ろそうと思ったら、とうてい動かせない重さだった。どうやって重ねたねん?

………

帰りにニトリ。

プラ箪笥って言っても、ふたつとなれば、まぁまぁな重量。ニトリから直接送ってもらお。








  
Posted by るいまま at 13:20Comments(0)■るいまま■老人90日記

2024年04月26日

多くはみな虚事


【多くはみな虚事】
4/25 goodmorning




吉田兼好「#徒然草」の中には、食べ物がよく出てくる。

食べるというのは日常の一番身近なことだから、日がな一日机に向かう仕事をしていると外せないこと。

いつも感謝をもって食べている大根が、盗賊が入ったときに兵となって助けてくれたり、

旅の宿で煮られていた豆が「旅人程度のしりあいでしかないのに、我々を煮て苦痛を与えるんだな!」とブツブツ言うので、

「その言葉本心かどうかしらないけど、焚かれるのも煮られるのも耐え難いことかもしれないけど、いまは仕方ないこと。私を恨んでくれるな」と返したり。

徒然草が書かれたのは鎌倉後期から南北朝時代。思い通りにならぬことが多い世の中だったんだろうね。

#73段 の風刺は、現代のひとへの手紙のようだ。

世に言い伝えていることの「真実」ってのは興味をしめされないものだ。#多くはみな虚事 。

昔の偉人達人を、知識のない輩はむやみに崇拝するが。その方面に明るいひとは、崇拝する気にもならん

実際に見ると、噂を聞くじゃ違うものなのに、聞いたそばから喋り倒し、根も葉もないとわかっても、まだもっともらしく喋る。

辻褄を合わせて話す虚言は恐ろしいものだ。

逆に、自分の名誉になるような嘘は誰も打ち消さない。

適当なことを言ってるもんだと思いながらも、みんなが面白がっているからと打ち消しもせず黙ってみていたら、ついに賛同者とされ、事実となってしまった。

とにかく嘘の多い世の中。

下世話なひとは、耳を驚かすような話が好き。立派なひとは奇異なことは言わない。

世俗の嘘を本気で信じるのは間抜けだが、そんな事実はあるまいと争論したとて無意味なこと。

だいたいのところで相手にしておいて、盲信したり、むやみに疑いあざけたりしちゃいかんよ。

立派なことを宣う文学者なんかも、私生活むちゃくちゃ(笑) 太宰がすき、藤村が好きというひとを見るたび吉田兼好のような思いになるが、適当に聞き流しとくよ、兼好先生。

膨大な量のニュースや噂話が流れてくる毎日。疲れ果てないようにね。



  

2024年04月25日

朝からすっきり(笑)


【朝からすっきり(笑)】
4/25 goodmorning

#吉田兼好 にかかりゃ、僧侶も貴族もお金持ちも散々(笑)




「家の作りは、夏をむねとすべし」ではじまる教科書むきの55段の前後。

54段は、かわい子ちゃんを呼び出して紅葉狩りをする法師の話。

「気の利いたお弁当を用意して、先に埋めておき、紅葉狩りのあと、自分たちの念力で弁当がでてきたと驚かそうと、埋めたあたりで印を結んだのに、弁当がない!

どうやら、埋めているのをみていた盗賊に盗まれたらしい。

で、お前が悪いお前が悪いと、聞き苦しい言い争いをはじめる。

兼好は、しいて興を求めるから、こんなことになるんじゃ。とせせら笑う」(笑)

56段では、兼好は怒ってる(笑)

「久しぶりに会ったからと自分のことばっかり喋りやがって! 少しは遠慮しろ!

もっと質が悪いのは、ちょっとどっかいったくらいで息をもつかずに喋り続けるやつ。

品がいい人は、大勢いてもひとりと話すが、下賤なやつは誰彼構わず押し入って話すは騒ぐは、見苦しい!それを、わかりもせんのに囃し立てるバカ。

ちょっと高尚な話をしたらのってこないくせに、下世話な話を始めて笑い転げる。

あぁ、お郷が知れるぜ!」

兼好の、この口の悪さが大好きだよ(笑)

朝からすっきりした!

でも、実際には、こんなふうに言えずに悶々してたんだろうね。だから書けるのよ。

何百年たっても、人間は似たようなもんだわね。


  

2024年04月24日

運動ではない。

4/24 goodmorning

なんでも良きことと思ってはじめても、賛同者が増えすぎると「運動」になり「過多」になり、やがて「色褪せ」飽きられてしまう。

運動になって社会を動かすよりも、自身の動き方。

なんてことを思う朝。




【柳は茶の病と言った】

夕べ、茶人が預かりものを届けてくれたので立ち話。

少し前、茶人が、#官休庵の盆略点前 が生まれたときのことが書かれた書籍を読み返して書いていた文に「さすがのもんだ!」と思ったので、

あれはどなたが書かれた本なんです?と聞く。

書かれたのは、武者小路千家13世家元 徳翁宗守 #有隣斎。大正2のお生まれの宗匠で、1999年平成11年まで存命だったので、茶の湯のものでない私でも 有隣斎の掛物はよく目にする。

有隣斎宗匠は優れたひとだったぶん、怖いひとというイメージがあったそうで、なかなか踏み込むことがなかったけれど、

なぜ、今ある官休庵の盆略点前を生み出したか?の話をよんで、50年前に宗匠自らが、いま、私たちが憂うことを考えて生み出してくれたのだと知ったと茶人。

茶が、いまのまま特別なひとのためだけになってしまうと、たぶんどんどん先細る。

人間て、カテゴライズされたり、ひとよりちょっと上からもの申すマウンティングが好きだから、そういうひとは残るかもしれないが、

それはやはり後退だ。

流派の継承を担う宗匠たちにとっても、それはきっと深刻な問題で、漫然と次に繋いでいくだけではなく、いまの社会や次の時間、100年後の未来を見据えて考えてらっしゃるはず。

そして、誰よりも、茶の時間がもっと浸透しなければ文化が滅びることをわかっていらっしゃるのだろうと、茶の湯とは離れたところでくらす私は思う。

#盆点前ガールズプロジェクト なんてふざけたネーミングで始めた茶室る庵活動だから、とかく甘く見られがちなんだが(笑)

流派は180以上あると言われる時代。

盆略点前だけで茶会をする、#ならず者 だって、文化の衰退に危機感をもっているし、憂いてもいる。

人真似ができないぶん、見立て道具しかない茶室で、舞台(茶会)に合わせて点前も考える。

そのとき、いつも思うのは、これを考えたひとは、なぜこうしたんだろうってこと。だから、何を残し何を省くかには大いに頭を使う。

盆点前ガールズをみて、「(流派の茶と)ちがいます!」ってマウンティングしたり、せせら笑うのはやめてね。

私は意地悪なんで、ああなんて狭いお心のお茶人さんだことって思ってるよ(笑)

あなたが違うと思うのは、あなたが真似てる流派と違うだけ。

あなたの宗匠は、もっと未来をみていると思うよ。

てなわけで、#谷晃 著 「#茶人たちの日本文化史」 を再び読む。

前回読んだときには読み飛ばしていた、#柳宗悦 の章で、柳が茶の湯につきつけた「茶の病」は、なかなか辛辣だ。

しかし民藝運動も、その後問題を抱える。社会は変化していくものだ。