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2024年04月28日

本日4/28 東谷農村歌舞伎祇園座公演



4/28 goodmorning

晴れたね!
#東谷農村歌舞伎祇園座公演 日和。

昨日、佐藤さんの会で一緒だった学芸員の佐々木くんが #日本駄右衛門 で出演! 是非、お見届けを。

祇園座は、#御所桜堀川夜討 辨慶上使の場。

祇園座のある平尾八幡神社には、地域のみなさんのバザーもでて賑わいます。去年は、嘘みたいなお値段の筍買いました(笑)

10:00〜14:30

川東小学校、JA香川川東、東谷コミュニティセンターの臨時駐車場から送迎バスが出ております。







  

2024年04月27日

小堀ジョージ裕之、最高



数ある 斉藤和義の「ずっと好きだった」のMVのなかで最も好きなやつ。


https://youtu.be/PG8xpE7Fl-I?si=4aWE4EmS9nhDQijC




小堀ジョージ裕之、最高(笑)。



この間たまたま観た芝居の劇場前で小堀さんに会ったけど、あのくらい彫りが深いから似るんだな。

せっちゃんほかは完全に日本人に見えるのでムリあり(笑)


  
Posted by るいまま at 10:06Comments(0)■お茶をのみながら

2024年04月27日

る庵は正統派(笑)



【庵】
4/27 goodmorning

#チャイ を淹れる。鍋で水から煮出し、出来上がったらカップを2つ準備して移しあうことで空気を含んで美味しくなるとあったので、やってみた。



なるほどね。丸くなって美味しい…ような気がする(笑)



さて、今朝は 茶人たちの日本文化史「点前の確立」。

古来の点前は、建仁寺の #四頭茶会 のように客に天目茶碗を持たせて茶を点てていたし、#足利将軍 の頃の茶は、点前が重要視されていなかったので、別室で点て運んでいたのは知っていたが、

そののち #村田珠光 によって点前ができてくるあたりを読む。

あ、先に一言、まだ茶室と呼ばれるものが確立していなかった頃、大都市 京都にたくさんできた「庵」は茶の会もするが遊興の場。連歌の会と一緒に茶をのんだり食事をしたり多様な空間。

だから、茶室る庵の「庵」は正統と言いたい(笑)

詳しくはのちほど



  

2024年04月27日

柴田くんと たかすの杜


【柴田くん】

フランスから、#フラウトトラヴェルソ奏者 の #柴田俊幸 くんが帰ってきたので、#たかすの杜 で、#オガタマノキ の香りがする庭を見ながら話をする。








だんだん おとなの顔になってきたなと言ったら怒るかもしれんが、今年37歳、会うたびにしっかりしてる。

8回目を迎えるたかまつ国際古楽祭は、今年もヨーロッパから音楽家がたくさん来てくれるらしい。楽しみね。

演奏家としては順調で、高松には48時間滞在で、すぐ東京に仕事のために飛んだんだが、

ただいまの彼の重要案件は、ベルギーからフランスに移住してから暴れだした石。30代男子にはよくあるらしいが、私の50肩同様、ずっと痛いってのは辛いね。



お互い、痛みの時期が抜けるまで頑張ろうな。





写真の花は、#オガタマノキ。

オガタマノキは「招霊」(おぎたま)から転化したものといわれる。
幸運をもたらす精霊が宿るとされる大変縁起の良い樹木で、毎年5月頃に、可憐で香り高い花を咲かせる。天に向かって真っすぐに枝を伸ばす様子が、精霊を呼ぶと考えられ、古来より大切にされてきた。
天照大神が天岩戸に隠れてしまった際、天鈿女命がオガタマノキの枝を手にして天岩戸の前で舞った。



  

2024年04月26日

多くはみな虚事


【多くはみな虚事】
4/25 goodmorning




吉田兼好「#徒然草」の中には、食べ物がよく出てくる。

食べるというのは日常の一番身近なことだから、日がな一日机に向かう仕事をしていると外せないこと。

いつも感謝をもって食べている大根が、盗賊が入ったときに兵となって助けてくれたり、

旅の宿で煮られていた豆が「旅人程度のしりあいでしかないのに、我々を煮て苦痛を与えるんだな!」とブツブツ言うので、

「その言葉本心かどうかしらないけど、焚かれるのも煮られるのも耐え難いことかもしれないけど、いまは仕方ないこと。私を恨んでくれるな」と返したり。

徒然草が書かれたのは鎌倉後期から南北朝時代。思い通りにならぬことが多い世の中だったんだろうね。

#73段 の風刺は、現代のひとへの手紙のようだ。

世に言い伝えていることの「真実」ってのは興味をしめされないものだ。#多くはみな虚事 。

昔の偉人達人を、知識のない輩はむやみに崇拝するが。その方面に明るいひとは、崇拝する気にもならん

実際に見ると、噂を聞くじゃ違うものなのに、聞いたそばから喋り倒し、根も葉もないとわかっても、まだもっともらしく喋る。

辻褄を合わせて話す虚言は恐ろしいものだ。

逆に、自分の名誉になるような嘘は誰も打ち消さない。

適当なことを言ってるもんだと思いながらも、みんなが面白がっているからと打ち消しもせず黙ってみていたら、ついに賛同者とされ、事実となってしまった。

とにかく嘘の多い世の中。

下世話なひとは、耳を驚かすような話が好き。立派なひとは奇異なことは言わない。

世俗の嘘を本気で信じるのは間抜けだが、そんな事実はあるまいと争論したとて無意味なこと。

だいたいのところで相手にしておいて、盲信したり、むやみに疑いあざけたりしちゃいかんよ。

立派なことを宣う文学者なんかも、私生活むちゃくちゃ(笑) 太宰がすき、藤村が好きというひとを見るたび吉田兼好のような思いになるが、適当に聞き流しとくよ、兼好先生。

膨大な量のニュースや噂話が流れてくる毎日。疲れ果てないようにね。



  
Posted by るいまま at 11:22Comments(0)■お茶をのみながら徒然草

2024年04月25日

朝からすっきり(笑)


【朝からすっきり(笑)】
4/25 goodmorning

#吉田兼好 にかかりゃ、僧侶も貴族もお金持ちも散々(笑)




「家の作りは、夏をむねとすべし」ではじまる教科書むきの55段の前後。

54段は、かわい子ちゃんを呼び出して紅葉狩りをする法師の話。

「気の利いたお弁当を用意して、先に埋めておき、紅葉狩りのあと、自分たちの念力で弁当がでてきたと驚かそうと、埋めたあたりで印を結んだのに、弁当がない!

どうやら、埋めているのをみていた盗賊に盗まれたらしい。

で、お前が悪いお前が悪いと、聞き苦しい言い争いをはじめる。

兼好は、しいて興を求めるから、こんなことになるんじゃ。とせせら笑う」(笑)

56段では、兼好は怒ってる(笑)

「久しぶりに会ったからと自分のことばっかり喋りやがって! 少しは遠慮しろ!

もっと質が悪いのは、ちょっとどっかいったくらいで息をもつかずに喋り続けるやつ。

品がいい人は、大勢いてもひとりと話すが、下賤なやつは誰彼構わず押し入って話すは騒ぐは、見苦しい!それを、わかりもせんのに囃し立てるバカ。

ちょっと高尚な話をしたらのってこないくせに、下世話な話を始めて笑い転げる。

あぁ、お郷が知れるぜ!」

兼好の、この口の悪さが大好きだよ(笑)

朝からすっきりした!

でも、実際には、こんなふうに言えずに悶々してたんだろうね。だから書けるのよ。

何百年たっても、人間は似たようなもんだわね。


  
Posted by るいまま at 08:05Comments(0)■お茶をのみながら徒然草

2024年04月24日

運動ではない。

4/24 goodmorning

なんでも良きことと思ってはじめても、賛同者が増えすぎると「運動」になり「過多」になり、やがて「色褪せ」飽きられてしまう。

運動になって社会を動かすよりも、自身の動き方。

なんてことを思う朝。




【柳は茶の病と言った】

夕べ、茶人が預かりものを届けてくれたので立ち話。

少し前、茶人が、#官休庵の盆略点前 が生まれたときのことが書かれた書籍を読み返して書いていた文に「さすがのもんだ!」と思ったので、

あれはどなたが書かれた本なんです?と聞く。

書かれたのは、武者小路千家13世家元 徳翁宗守 #有隣斎。大正2のお生まれの宗匠で、1999年平成11年まで存命だったので、茶の湯のものでない私でも 有隣斎の掛物はよく目にする。

有隣斎宗匠は優れたひとだったぶん、怖いひとというイメージがあったそうで、なかなか踏み込むことがなかったけれど、

なぜ、今ある官休庵の盆略点前を生み出したか?の話をよんで、50年前に宗匠自らが、いま、私たちが憂うことを考えて生み出してくれたのだと知ったと茶人。

茶が、いまのまま特別なひとのためだけになってしまうと、たぶんどんどん先細る。

人間て、カテゴライズされたり、ひとよりちょっと上からもの申すマウンティングが好きだから、そういうひとは残るかもしれないが、

それはやはり後退だ。

流派の継承を担う宗匠たちにとっても、それはきっと深刻な問題で、漫然と次に繋いでいくだけではなく、いまの社会や次の時間、100年後の未来を見据えて考えてらっしゃるはず。

そして、誰よりも、茶の時間がもっと浸透しなければ文化が滅びることをわかっていらっしゃるのだろうと、茶の湯とは離れたところでくらす私は思う。

#盆点前ガールズプロジェクト なんてふざけたネーミングで始めた茶室る庵活動だから、とかく甘く見られがちなんだが(笑)

流派は180以上あると言われる時代。

盆略点前だけで茶会をする、#ならず者 だって、文化の衰退に危機感をもっているし、憂いてもいる。

人真似ができないぶん、見立て道具しかない茶室で、舞台(茶会)に合わせて点前も考える。

そのとき、いつも思うのは、これを考えたひとは、なぜこうしたんだろうってこと。だから、何を残し何を省くかには大いに頭を使う。

盆点前ガールズをみて、「(流派の茶と)ちがいます!」ってマウンティングしたり、せせら笑うのはやめてね。

私は意地悪なんで、ああなんて狭いお心のお茶人さんだことって思ってるよ(笑)

あなたが違うと思うのは、あなたが真似てる流派と違うだけ。

あなたの宗匠は、もっと未来をみていると思うよ。

てなわけで、#谷晃 著 「#茶人たちの日本文化史」 を再び読む。

前回読んだときには読み飛ばしていた、#柳宗悦 の章で、柳が茶の湯につきつけた「茶の病」は、なかなか辛辣だ。

しかし民藝運動も、その後問題を抱える。社会は変化していくものだ。




  

2024年04月23日

月曜日の素心庵盆点前くらぶ4/22



【月曜日の素心庵盆点前くらぶ】

6月15日の #圓通寺回遊茶会 「織部はバロックだ!」に向けて、徐々に素心庵の模様替え。









今日の素心庵は、涼しい風が四方からはいり気持ちいい!

お茶を飲みにきてくれた、ご住職の童銅さんに、6月は暑いですかね?と聞くと、暑さはそうでもないと思うけど、虫対策しないとねとのこと。

今日のお菓子は、女将お手製の #米粉の蒸しケーキ。



高知に城攻めにいっていた、城ガールのお土産、#桜きんつば。






素心庵の盆点前の稽古あと、#織部はバロックだ!の芝居の現場稽古。織部最後の部分が真に迫ってきました。

今回、3回目の織部を演じる城ガール。

初めて茶人のシーンもありで、茶を点てることにドキドキでしたが、脚本を読み込むほどに、織部と通じ合う部分が多く、シンパシーを感じ始めているよう。




童銅ご住職に本床の利休をお願いし、副住職さんには立礼卓をお願いしたので、こちらも準備が進んでおります。

■ご予約受付中
6/15 宇多津円通寺・回遊茶会「織部はバロックだ!」2024
https://manyuchoschedule.ashita-sanuki.jp/e1340534.html

長い稽古がおわり、腹ペコるいまま、城ガールに、女将がおかず作ってくれた。ありがとう! 生き返ったぁ。







  

2024年04月23日

柳は茶の病と言った



【柳は茶の病と言った】

夕べ、茶人が預かりものを届けてくれたので立ち話。

少し前、茶人が、#官休庵の盆略点前 が生まれたときのことが書かれた書籍を読み返して書いていた文に「さすがのもんだ!」と思ったので、

あれはどなたが書かれた本なんです?と聞く。

書かれたのは、武者小路千家13世家元 徳翁宗守 #有隣斎。大正2のお生まれの宗匠で、1999年平成11年まで存命だったので、茶の湯のものでない私でも 有隣斎の掛物はよく目にする。

有隣斎宗匠は優れたひとだったぶん、怖いひとというイメージがあったそうで、なかなか踏み込むことがなかったけれど、

なぜ、今ある官休庵の盆略点前を生み出したか?の話をよんで、50年前に宗匠自らが、いま、私たちが憂うことを考えて生み出してくれたのだと知ったと茶人。

茶が、いまのまま特別なひとのためだけになってしまうと、たぶんどんどん先細る。

人間て、カテゴライズされたり、ひとよりちょっと上からもの申すマウンティングが好きだから、そういうひとは残るかもしれないが、

それはやはり後退だ。

流派の継承を担う宗匠たちにとっても、それはきっと深刻な問題で、漫然と次に繋いでいくだけではなく、いまの社会や次の時間、100年後の未来を見据えて考えてらっしゃるはず。

そして、誰よりも、茶の時間がもっと浸透しなければ文化が滅びることをわかっていらっしゃるのだろうと、茶の湯とは離れたところでくらす私は思う。

#盆点前ガールズプロジェクト なんてふざけたネーミングで始めた茶室る庵活動だから、とかく甘く見られがちなんだが(笑)

流派は180以上あると言われる時代。

盆略点前だけで茶会をする、#ならず者 だって、文化の衰退に危機感をもっているし、憂いてもいる。

人真似ができないぶん、見立て道具しかない茶室で、舞台(茶会)に合わせて点前も考える。

そのとき、いつも思うのは、これを考えたひとは、なぜこうしたんだろうってこと。だから、何を残し何を省くかには大いに頭を使う。

盆点前ガールズをみて、「(流派の茶と)ちがいます!」ってマウンティングしたり、せせら笑うのはやめてね。

私は意地悪なんで、ああなんて狭いお心のお茶人さんだことって思ってるよ(笑)

あなたが違うと思うのは、あなたが真似てる流派と違うだけ。

あなたの宗匠は、もっと未来をみていると思うよ。

てなわけで、#谷晃 著 「#茶人たちの日本文化史」 を再び読む。




前回読んだときには読み飛ばしていた、#柳宗悦 の章で、柳が茶の湯につきつけた「茶の病」は、なかなか辛辣だ。

しかし民藝運動も、その後問題を抱える。社会は変化していくものだ。



  

2024年04月21日

だれもが単身者となる社会



【単身者】

NHK日曜討論では、老齢化する単身者の問題について話しているが、

私も「壁の鏡とおひめさま」を書いたとき、1980年と2020年では、家族4人で暮らす世帯と単身者の割合が逆転していることに驚いた。

そのとき周りをみわたせば、単身者や単身者予備軍が圧倒的に多く、たとえ家族がいても、今は最後はひとりになるシステムなんだなと思った。

かくいう我が家も、全員が単身者としてくらしていた。母も、夫も、娘も、私も。

それに何の不自由もなく20年以上たったとき、母が倒れ、均衡は崩れる。

家族を見送り、一人暮らしとなった友人の孤独死に立ち会ったことも考えるきっかけだったかもしれない。


今は、るいまま組と茶室る庵になっている小さな小さなアパートを、母が経営していたのは戦後すぐから昭和55年までの30年ほどのことだが、

最初は若い夫婦、次は学生、最後は老人のための住まいとなっていた。

70歳を超えたひとたちは、アパートを探すのでも一苦労で、不動産屋さんからすがるように頼まれることもおおかったと言う。


だから、余分な家はいらないが自分が暮らす家だけは持っていないといけないと、よく話していた。

ただ、自分が家の後始末をするときが見えだしたとき、家土地がいかに重くのしかかるか。

日本の家族制度は、延々続く血族のバトンで、それを引き継ぐものは、優遇もされたが責任も重かった。

それは崩壊され、責任だけは残る。

いったいどのように生きるがいいのかしら?と思い悩むと歩みが止まってしまうので、とりあえず今日も歩く。

では、朝ご飯。