2024年05月03日
晴れの日のサンポート
【名曲喫茶】
JR高松駅広場にお店をだす #名曲喫茶或る音楽堂 でコーヒ。
店舗を持たない野外設営の名曲喫茶。普段はレコードから流れるクラシック音楽を楽しみながら珈琲をいただくようですが、
今日はお隣でライブがあったので珈琲のみ。また、ゆっくり参ります。
今日は、サンポート20周年記念でいろいろ 賑わい中。
【ORNE】
はじめてのフードコート(笑) 何年かぶりのラーメン。
【いちご】
#パティスリースミダ にやってきた56kgのいちごがアイスクリームになりまして、さぬきマルシェにやってきました。
広告塔の私たちのかいあって、お客様が続けざまにきております(笑)
なんだ なんだ?
2024年05月03日
2024年05月03日
映画 「倭文 旅するカジの木 」
【倭文 旅するカジの木 】
5/25から、いよいよ「#倭文旅するカジの木」 の全国上映会がはじまります。
倭文(しづり)は、「#日本書紀」にでてくる織物の神様。
「天上界から遣わされた二柱の武神は、地上の邪悪な神、草木、石の類のものをみな平定した。
征伐できなかったのは星の神だけだった。
それで織物の神〈倭文〉を派遣すると服従した」
名だたる武神が勝てなかった星の神を織物の神 倭文神が従わせる。
なぜ織物の神が勝つのか。
星の神を従わせる力とは何か。
倭文とはどんな織物なのだろうか。
から始まるものがたり。
今のところ四国での上映会はでておりませんが順次増えていく模様。京都、大阪はこちら。
京都シネマ 075-353-4723
6月7日(金)~
大阪 第七藝術劇場 06-6302-2073
6月8日(土)~
■倭文 旅するカジの木 web
https://shizuri-movie.com/
…………
日本神話に現れる幻の織物〈倭文(しづり)〉。その白さは光の象徴とされ、邪悪なものを祓い、身体を護る神聖な力を持っていた。
〈倭文〉の力の源は
どこにあったのか。
謎を解く鍵は、衣服の始源を担った「カジの木」が握る。中国南部を原産とするその木のルーツを遡り、台湾、インドネシアのスラウェシ島、南太平洋パプアニューギニアへ。さらに日本各地に倭文の痕跡を求めると、古代国家の重要な謎が明らかになっていく。
現代の織物作家たちは〈倭文〉の創造的復元に挑む。
古代の日本人が衣服に込めた力を探る知的好奇心に溢れたドキュメンタリー。
2024年05月03日
歴史かもかも説(笑)
【歴史かもかも説】
5/3 goodmorning
歴史に残るようなボスの陰には、必ず参謀となる賢者や要となるひとがいて、
秀吉の弟 #秀長 が、清盛の息子 #重盛 が、後白河の妻 #滋子 があんなに早く亡くならなかったら、違った社会になっていたかもというのは、 #歴史かもかも説 だが、
だいたいにおいてボスというのは孤独なもので、地位や名誉や財を持てば持つほど、まわりが信じられなくなり、怖くなって、要らぬことをやらかす。
何千何百と一族がいても、そうなると凋落のスピードは加速し、あんなに栄華を誇ったのに、どこ行っちゃったんだろうね…と、
くちさがない者たちに、いろいろ書かれたり、演じられたり、歌われたり。
現代だって #歴史かもかも説 はある。バブルが弾けず続いていたらというのを若いyoutuberがやっていたが、
またまたベビーブームがやってきて人口2億人。地方の人口は、今の2倍。大阪、名古屋は人口爆発。東京 大阪を繋ぐ新幹線は90秒ごとに動き、山手線は15両編成が60秒ごとに動かないとひとが溢れる。最低賃金は5000円、年金は2倍。経済格差は広がるけど一般庶民の暮らしが豊かになる。リニアモーターカーは2020に開通、2040年には福岡にものびる。青函トンネルに車も走る。
ここまで聞いて、あぁ、四国は 歴史かもかも説 の中でも別物なんだねと、思う朝(笑)
2024年05月03日
6/1から チーズバーガーチャレンジ
【チーズバーガーチャレンジ】
5月の #MUGScafe マンスリーバーガーは #チーズオムレツバーガー。
チーズの入ったオムレツの上に、グレーダーで削られたばかりのチーズが乗っているので良い香りが広がります。
食べるときは、いつものようにバンズを重ねてピンを打ちガブリ。
このもりもり感に「食べるの大変そう」と、よく言われますが大丈夫。いつも、よく考えてるもんだよと感心。
6/1から、MUGSをはじめ、るいまま組近くのNEIGHBORSDINERや、仏生山駅前のBitsなど、高松の名だたるバーガー屋さんを巡る #チーズバーガーチャレンジ が始まるそう。5軒巡るとプレゼントありだそうなので、挑戦してみてね。
2024年05月02日
ちょうど2年
【ちょうど2年】
老人93(母)を施設に送り届けて帰る途中、そういえば、最初に心不全で倒れ、担いで病院につれていったのも5月の連休だったよと思い出した。
https://ruimama.ashita-sanuki.jp/e1281003.html
あれから丸2年。
止まりかけた心臓が復活したかと思ったら、退院の日にベッドから落ちて硬膜下血腫ができてHCU送り。またまた復活して施設くらしになって、「私は班長みたいなもんやから」と自慢げにいってたけど、
とうとう、4週間のお転婆禁止車椅子生活がやってまいりました。
昨日の転倒のあとも普通に歩いて、自分の洋服ダンスやクローゼットをあさって騒いでいたので、あのコケ方で打ち身で済むなんてすごいなと思っていたら、夜になって腫れてきたらしく、相当痛い思いをした模様。
特に熱もないし、レントゲンでは変化ないけれど、えらいボコボコ腫れているので水を抜いてみましょうとドクターが言い、太い針がブスリ。溜まっていたのは血液。
MRI検査の結果、やはりちいさいヒビが入っておりました。見つけてくださって、ありがとうございます!
自転車ごとこけても骨折しない、骨の強さには定評のあるお転婆婆さんでしたが、93歳という年齢には勝てない模様。
ギプスはつけずに安静にということで、一番苦手な「車椅子でおとなしく暮らす」の修行にはいることに。
急に倒れて家の整理をする間もなく施設に行ったので、自宅が恋しかろうと、病院のあと自宅に寄ったりしていたが、もう寄り道はやめよう。
あれがないこれがないというから、大方の衣装は施設に運んだし、自宅っていうのは「危険だらけ」ってことも痛感。
93歳、安全に健やかにご機嫌で暮らすには、施設の自分のお部屋を充実させるが一番。
…………
ゴールデンウィーク中日の5月2日。
病院の待合室はひとでぎっしり。患者さんひとりで来ているひとも多いけど、うちのように付き添いが必要な超老人の多いこと。
母と話していると、待合室のベンチでお隣に座った女性が「お母さんですか? お元気そうですね。うちは老老介護なんですよ」と声をかけてくれ、80代のお母さんを週に2回のリハビリに連れてきていたら、自由に出かけることもできないんですと言う。
そうですよね。うちのように大方施設に暮らしていても、なんだかんだと用事はあるもの。
あちらも一人娘、私も一人娘。60超えて、逃げるに逃げられない状況。お姑さんやお舅さんの介護も重なり、それが済む頃には自分のほうがダメになってしまうかもというのは、ほんとに身につまされる話。
待合室のテレビが、きれいなツツジを映し出すと、
「あんなとこ、私やっていってみたいわ!」とお隣の女性がいったところで、お母さんの診察がおわり帰っていかれましたが、お母さんはしっかりして、まだまだお元気そうでございました。
…………
そんなこんなで5月は病院通いが続くので、この間、京都いっといて良かった(笑)
2024年05月02日
春の土用は鬼の撹乱
【鬼の撹乱】
昨日、老人93(母)が、祖母や父が倒れたとき「自分がみなきゃ」と腕まくりし、ひとりでやり遂げた話を滔々と話すので、
「そのやる気をお父さんが亡くなったあとまで持続してほしかったよ。母屋に残るお父さんのものを片付けるのだって大変なんだよ」というと、
「お父さんが、自分の部屋のものは触るなって言うからよ」
お父さんが死んで何十年たってるんだよ!
「お兄ちゃんの部屋を片付け、ママのもんを片付け、その上、ママが後生大事に仕舞い込んでいたお父さんのものまで片付けるとは思わなかったよ」
その言葉に母が、そういうときは自分なら「自分がやらなきゃ!」とアドレナリンが湧き出る話をはじめた。
今だって、自分がいたら、そんなことはすぐ済む。ああしたらいい、こうしたらいいの時代錯誤な指示もとび、
ついには、るいちゃ社長が3歳くらいのときの話になって、自分ひとりが家族の苦労を背負っていたと、はてなき自慢話になったので、
ああ、愚痴った私が馬鹿だったよと惨敗を認め、
「私はね、ママのように立派に生きられないので、早くお兄ちゃんとママから逃れられないもんかと毎日考えてるよ」と言った。
祖母が倒れたときは、病院は完全看護だったけど、大阪の叔母や、茨城の叔母が交代できてくれて月の2/3は妹たちが昼間いてくれたし、
父は、たったの3ヶ月でいってしまった。
父が亡くなって、大きなショックを受けたのはよくわかるが、へんてこな拝みやさんにかぶれて、要らぬものも買わされている。
それを言うても詮ないが…
と書いていたら、
昨日の転倒で負傷したところが腫れてきたので病院受診してくださいの電話がかかってきた。
やれやれ。では、まいる。
春の土用は、鬼の撹乱。
2024年05月01日
自信たっぷりの幼児をつれてるんだ
【自信たっぷりの幼児】
老人93(お転婆婆さん)の病院受診の日。私は、先日の箪笥移動騒動でダメージ受けてんのに、本人はいたって元気。
ひとの話は聞かないけど、先生がほめたことだけは聞こえていて、なににつけても自信たっぷりで3時間あまりの受診終了。
最近、「あの服もってきて、どこどこに入れてるから」が酷く「それは、もう持っていってるから」と言ってもきかないので、病院帰りに自宅に寄って確認してもらうことになり、
まずは母を車からおろし、車の鍵をかけていたら、その数秒が待てず、押し車ごと進んで滑って転けて、顔やら腕やらから派手に流血。あぁ
なんで動くんだよー!
と思ったけど、つまりはもう「#自信たっぷりの幼児」をつれてるんだと思ってないといかんのだなと痛感。
流血してたって、服を探すほうが大事らしく、箪笥を片っ端から開けて、ああだこうだで2時間。
持っていくという服に名前をかいたり畳んだりの一騒動がすんで、車に荷物とお転婆婆さんを押し込んで、ようやくの帰り道、
「怪我したんだまっとかないかんな」というので、
「黙ってて後で何か起こったらいかんでしょ!私が報告しますよ!」と叱ったら、
よう聞こえんのよと別の話をし始める。うきー。
施設に送りとどけ怪我に至った報告をすると、看護師さんや介護士さんがでてきて、詳しく教えてくださいと囲まれる(そりゃそうだよ)、
いまは興奮しているので、本人は大丈夫といっているけれど、時間をおくと何かあるかもしれません。まずは、経過観察いたします。状態によって受診となるかもしれません。
あぁぁ。
ほんま、もっと落ち着いて! 用心深くなって! 93歳を自覚して!
日に日に子どもかえりしてるのか、もともとの性格が濃くなるのか、頭のいたいことよ。
2024年05月01日
傷つくこともある
【傷つくことはある】
5/1 goodmorning
他人が、そんなことくらいと思うことに深く傷つくことはあるもんだ。
#徒然草 226段によると。
#平家物語 を書いた、信濃前司行長は力ある学者だったが、楽府の議論のとき「七徳の舞」のうちニ徳を忘れてしまい「五徳冠者」とあだ名をつけられてしまい、それを苦にして、学問をやめて出家してしまう。
行長が、全部思い出せなかった七徳とは、
■抗争・軍事に関する七つの徳。武力行使を禁じ、武器をしまい、大国を保全し、君主の功業を固め、人民の生活を安定させ、大衆を仲良くさせ、経済を繁栄させること。
学者には、あんまり関係ないかも。
行長の出家を知った叡山の慈鎮和尚は、たとえしもべの者でも一芸のあるものは遇してやりたいと召し抱えて可愛がり養った。
長じて 行長入道は、平家物語を書き、生仏と言う盲人に語らせるのだが、お世話になった延暦寺のことは立派に書き、九郎判官義経のことはよく知っているので詳しく書いている。
逆に、源範頼のことは十分知らなかったので書き漏らしていることが多いそう。
現代(吉田兼好の時代)の琵琶法師は、生仏の声色を真似ているものとあるので、音の高低を書いたものがあったわけではないんだね。
さて、今日は、まぁまぁ気重なことありだが、スルッとやりすごせますように。
・楽府(がふ)とは、漢魏の漢詩の一形式で、古体詩の一種
2024年04月30日
羊は安らかに草を食む
【羊は安らかに草を食む】
遅ればせながら、日曜日の「光る君」。藤原道隆亡くなりましたな。
本当のことはわかりませぬが、このドラマのなかではあわれなこと。権力は持ちすぎると放したくなくなる。今も昔も同じ。
一部のマニアの間ではハム太郎で有名になった、羊は安らかに草をハムを聴きながら レモンケーキを食む。
「羊は安らかに草を食む」は優れた領主の下で人民は安寧に暮らすという意味だそうで、
テーマは外れてはおらんな。
■羊は安らかに草をハムhttps://youtu.be/zgeDJUkGPj8?si=t96jx8uBHPblhacZ