2009年11月02日
必要以上の摩擦からの回避
朝から、一向にはかどらない原稿書きにうんざり気味 るいままです。
さて、昨日の勝間和代のコラム

「批判は認められたい欲求の裏返し」を、もう一度よみながら
攻撃に対していきり立つことの幼稚性を認めざるをえないな、
そして、相手を見極めるという冷静さを持たないとダメだな。
勝間和代氏のコラムから抜粋すると>>
相手の立場が見えないときは、自分がどういう形で社会と関わっているかについてで考えるしかないので、
私は、「社会的な構造そのものを変える」のではなく
この構造のなかで「いかに生きるか」のほうにベクトルが向かっているのだから
その領域以外のことでの批判については「伺う」ところまでにしないとな。
「必要以上の摩擦からの回避」を逃げとみるか、前進への道とみるかは、人それぞれ。
さて、昨日の勝間和代のコラム

「批判は認められたい欲求の裏返し」を、もう一度よみながら
攻撃に対していきり立つことの幼稚性を認めざるをえないな、
そして、相手を見極めるという冷静さを持たないとダメだな。
勝間和代氏のコラムから抜粋すると>>
(略)「自分の専門知識を相手にわからせたい」という承認欲求の裏返しなのでしょう。
私はこのことにうすうす気づいていましたが、自己承認欲求の裏返しだと言葉にしてもらってから、すっきりしましたし、それを自覚することで、必要以上に攻撃的になることを避けられるようになったと感じています。
逆に、自分がかかわったことについて批判されたときにも、相手の立場を考えて、どこまでの内容をアドバイスとして受け入れるべきか、そして、どこからが「見て、見て、見て、自分を認めて」という相手の自己承認の欲求なのかをある程度、見極められるようになってきました。
相手の立場が見えないときは、自分がどういう形で社会と関わっているかについてで考えるしかないので、
私は、「社会的な構造そのものを変える」のではなく
この構造のなかで「いかに生きるか」のほうにベクトルが向かっているのだから
その領域以外のことでの批判については「伺う」ところまでにしないとな。
「必要以上の摩擦からの回避」を逃げとみるか、前進への道とみるかは、人それぞれ。
Posted by るいまま at 15:54│Comments(3)
│■るいまま
この記事へのコメント
タイトルにひかれてやってきましたが、
「必要以上の摩擦からの回避」
身に沁みて考えさせられます。
う~ん・・・。
「必要以上の摩擦からの回避」
身に沁みて考えさせられます。
う~ん・・・。
Posted by ゆらゆら at 2009年11月02日 17:01
■ゆらゆら
もう、あっちでこっちでちゃぶ台ひっくりかえしまくりの私ですが、
結局、誤解のスパイラルの中に引き込まれるばかりで、
そんなことに時間を費やすことに意味があるのか?と、最近、考えてしまっておるのですよ。
もう、あっちでこっちでちゃぶ台ひっくりかえしまくりの私ですが、
結局、誤解のスパイラルの中に引き込まれるばかりで、
そんなことに時間を費やすことに意味があるのか?と、最近、考えてしまっておるのですよ。
Posted by るいまま
at 2009年11月02日 17:12

るいままさま
この文面に表れてない部分があまりにも大きいのでしょうねえ。
この文面に表れてない部分があまりにも大きいのでしょうねえ。
Posted by たみ家
at 2009年11月02日 19:25

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