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2023年09月06日

祇園閣(銅閣)と大雲院



【銅閣寺のこと】

朝、あとで書くといっていた「金閣寺(鹿苑寺)、銀閣寺(慈照寺)もいいけど、銅閣寺もいいよ」のつづき。

「銅閣寺」と呼ばれる寺院は祇園東山にある「大雲院」のこと。

元は、天正15年(1587)織田信長、信忠親子の菩提を弔う為に正親町天皇の勅命により建てられた寺院で、創建時は御池御所(現在の烏丸二条)の位置にあり、豊臣秀吉の命で寺町四条へと移転。

大雲院は、1788年(天明の大火)、1864年と二度の焼失にあうが、明治になってから再建。

時代は大きく移り、昭和2年(1927)大成建設や帝国ホテルの創始者でもある大倉財閥の大倉喜八郎が、「金閣も銀閣もあるんだから、銅閣も作る!」と、自身が老後を過ごそうと思っていた別邸「真葛荘」の敷地内に「銅閣」を建てる。

銅閣の設計は、築地本願寺や平安神宮を手掛けた建築家・伊藤忠太。大倉喜八郎は「突風に吹かれて逆立った雨傘」のイメージでと発注したそうだけれど、祇園祭の山鉾をモチーフにしたデザインに落ち着き、その形から「祇園閣」と命名。「祇園閣」は銅板葺きの屋根で、大倉喜八郎の希望通り「銅閣」が誕生。

その後、「真葛荘」のあった場所に「大雲院」が移転することになり、「祇園閣」は大雲院の所有となり、大雲院が銅閣を有するお寺「銅閣寺」となる。けど、大雲院としては公称とはしていない様子。

「祇園閣(銅閣)」は現在、国の登録有形文化財。大雲院開祖400年の昭和62年、祇園閣内部の通路・階段壁面に世界遺産でもある中国の”敦煌莫高窟”の壁画が模写されたそう。

文化遺産オンラインによると
「大倉喜八郎の依頼により,伊東忠太が設計した普請道楽の一つ。施工大倉土木。総高約34mの3階建塔状建築で,下層及び基礎部分を鉄筋コンクリート造,中層以上を鉄骨鉄筋コンクリートとする。山鉾をかたどった和風の外観,内部のグロテスク型の照明は特異。」

八坂さんからみた「祇園閣(銅閣)」の写真がwikiにありましたので貼り付けとく。

祇園閣(銅閣)と大雲院





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